日記
娘の名前を考えるとき、私には一つの思惑があった。自分の母と親友に共通する一文字を入れたいという希望だ。
そしてもうひとつは、私が小学生のときに初めて私に話しかけてくれた人の名前でもある。
わたしはとても恵まれた人間だった。
学校の授業にもついていくのは苦労せず、背も高く体格で男子生徒に力負けするようなこともなく、さらに、たくさんの好奇心を抱いて生まれてきた。女の子っぽい性格ではなかったかも知れない。だから、女の子っぽくないと母に恨み言のように言われたりしたけれど私はそれを気にとめないマイペースさを兼ね備えていたのが幸いだった。
そんな私でもいじめられたことがある。ものを隠されたり、やってもない罪を先生に告発されしかりたり、先生に悪口を言われたり、笑いものにされたりしたことなど、経験として片手か両手で数えりるほどあるが、どれもこれもが1ヶ月と繰り返されることもなく、それに、私はいじめようとしてくる人たちに憐れみしか感じなかったし、友達もいたし、それはいじめではなく意地悪程度だ。画鋲を上履きに入れられたときもその画鋲は靴の裏のラバー部分に全部貼り付けて遊ぶくらいには神経が図太かった。私がいじめられて母がぶちぎれたことが2回ある。そのときの剣幕から、自分でなんとかしようと思っただけだと思う。
みんなの前で先生に、頭にシラミがいると晒された女の子がいた。それは、毛ジラミではなく乾燥による痒みから出るフケだろうと思った。その子は泣いていた、事情を知らない隣のクラスの私にはなんでもないと強がって見せた。
私も日焼けに弱いのでよく頭皮がめくれた。
その女の子が晒されたから、母は私の頭の白い皮膚がけじらみだと言い張って私の頭に薬品をぶちまけたが、私はされるがままにしてため息をついた。
けれど母がその毛ジラミがいると言われた女の子と親しくしないほうがいいと言うから、私は腹が立ってその女の子に積極的に話しかけた。一緒にゲームをして、本の貸し借りをした。その子は5人兄弟で、下の弟たちの面倒をよく見る優しい子だったから、やっぱり彼女の人柄は周りもわかっていたみたいで、大きくいじめられることはなかった。
自分の感情をコントロールできないひとは愚か者だと思うようになった。先生たちといった大人が子どもを揶揄うほうがよく目撃した。この世は優しくない、誰も守られてなどいない。
いじめっ子に加担して自分がいじめられないという空気感を作るというのは、またいつ自分がいじめられるかわからない環境だということだと思う。
私は、頭が悪いのだ。こんなにちっぽけな私にできることなんて多くない。精々、この手で握りしめるくらいしかでかない。
君の話が聞きたいんだ。花は咲いたかい。泣きたくなってはいないかい。誰かそばにいるだろうか。
君の話が聞きたいんだよ。僕の声に耳など傾けなくていいから