訳あってそこに居る
いつも何かを探している気がする
幸せとか成長とか、学びとか、良い交流とか、。そういうぼんやりとしていて、掴みどころのないものを求めて動いているような気がする。
どうして私はここにいるんだろう。
何かがココにある気がするんだ。
でもその”何か”がまだ掴めないんだ。
っていう状態も少なくない。
ただ
私はこれまで自分の感性を研ぎ澄ませてアンテナを張り、その時の自分が将来にわたる影響までも最大限考慮して、最良だと思えることを選択してきた。
自分の通う学校を大学進学時に初めて自分で選んだとき。
卒業後も県外にとどまる事を決めたとき。
結婚せず子供を持たない選択は私にはないと決めたとき。
どんな旦那さんを選ぶのかということを決めたとき。
自分の外側にあたる、親や親戚や友人や本やインターネット上の情報は、その重要な局面ではむしろ積極的に排除して、自分の気持ちに嘘をつかない選択をしてきた。
そんな自分100%とも言えるような選択や決断というのは、本当に面白い現実をもたらしてくれるとつくづく思うことがある。
私が選んだ大学は、私にありのままでいいという事を教えてくれた。
私が選んだ旦那さんは、浮気や暴力のない安心できる家庭を当たり前に提供してくれる。
私と旦那が選んだ建売の一軒家は、不思議と近所に、私と同じく花が好きで家庭菜園も好きな人が集まっているし、子供たちにも優しく見守ってくれる。
まぁでもここまでは、選んだら選べる気がする。
でも、これが面白いのは、人との出会いが幸運すぎること。
紹介された訳でもなく、いい家族たちの隣に私たち家族の手の届く建売が建てられた。
ファミリーサポート会員さんも偶然知り合えた人が頼もしくて優しく趣味も同じ方だった。
発達特性のある子供たちにもみくちゃにされながら共働きする私たち家族にとって、どれだけその人たちとの関係が有難いか。
お向かいさんのお子さんにも特性があって療育を受け支援級に通っていて、そのお母さん自身は支援学校の先生だった。
その事を知った時、だからお向かいの3世帯全員やお隣さんたちも、うちの2人の子供たちの特性を不思議と受け入れてくれていたんだ。と腑に落ちたものだった。
うちの子たちが奇声あげてても静止を聞かずに公道走ってても、怪訝な目で私たち親子を見たりなんてしなかったのは、ご近所さん達にとって約10年前のリプレイに見えたからかもしれない。
そして
ファミリーサポートでお願いしたまかせて会員さんも、長年教師をされ転勤先では支援学校の先生も経験され、胆力を鍛えられた方だ。
朝早い送迎を受け入れてくれる方はそもそも3名ほどと少なく、他の人は60代専業主婦だったり中学生のお子さんのいるお母さんだったりした。支援学校の先生だったという事は、契約後に知った。
彼女は我が子が困った状態の時は律してくれ、自尊心も損壊しない適切な関わりをしてくれる。花も畑も好きで珍しい花の種や苗をくれたりもする。最高の繋がりである。
私が選んだ土地で、出会えた旦那と、授かった子供と、温かな見守りも含めて広義でご支援くださる方々。
偶然にも療育に理解や知見のある方々が近くに居てくれる。これは未だに私にとって驚きでもある。有難いなぁの一言だけでは済ませられない感情である。
「訳あってそこに居る」
自分の感性を大事にした先に、驚くべき偶発的な幸せが待っている。
私にもまだ見えていないものもある。
ずっとこの土地に住み続けるのか。
もっと生生しいところでは、ずっとこの仕事を続けるのか。
”普通”に考えたら、仕事をそこにしか持ってないから行っているだけのことなんだが、収入を得るだけではなくて何かを学びに行ってるのだという感じも”感じている”。
いつか
選んだ場所での”学び”は終わる。
その時が来たら、また選び直す。
ただそれだけだと思っている。
65定年頃には、地元に戻っているかもしれないし、はたまた少し違う場所に人生楽しみに移住しているかもしれない。
「選び直す」その時が来た時に、ちゃんと”感じ取る力”と、”動ける力”を残しておくことが重要な事だと思う。
幸運な出会いに心から感謝しています。
同時に、やっぱり自分のアンテナ大事にして感じとったものを、紡ぎ合わせたり糸をたぐっていくとご褒美があるんだっていう感覚にもなります。
信じるか信じないかは
あなた次第。なんて。😂
※補足
良いところだけを抜き取って書くと、それが全てに見られてしまう事があります。
けどそんなことはなくって。
つまり行政に不満がない訳じゃないし、旦那に不満がない訳じゃないし、道ゆく大学生に少し困ることだってある。
あくまでも、”感性”を大事にしたら面白い。ということを表現するために、現実を抜粋して書いているという前提はご理解下さい。
誰かのお役に立てば幸いです
神崎いと