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コルシカ島・南仏旅行記(1)

  八月はバカンスのシーズンである。この季節は、街中が麻痺したかのように静まり返る。レストランやブティックには「夏季休暇中」の貼り紙がされ、通りにはまばらな人影しか見えない。「フランス人はバカンスのために働く」とよく言われるが、これは偏見ではなく事実だと思う。
 ここ数年はしかし、コロナウイルスの問題があったので、アランと私はどこにも出かけずに夏を過ごしていた。ところが今年の三月十四日より規制が緩和され、国民たちの行動範囲は大幅に広がった。彼のいとこのグザビエがコルシカ島に行くというので、ではいっそのこと三人で出かけようということで話がまとまった。

 コルシカ島は地中海西部、イタリア半島の西に位置するフランス領の島である。面積は約八六○○km2で、日本の広島県と同程度の大きさである。ターコイズブルーの海にそそり立つ乳白色の断崖、山肌にしがみつくように広がる石造りの村々、栗の木が植えられた峡谷。一方、フランス皇帝ナポレオン一世の出身地としても知られており、歴史と伝統が色濃く残る場所でもある。
 そもそもなぜコルシカ島に旅行に行くことになったのかというと、彼らのルーツを遡るとコルシカ島に辿り着くそうで、子どものころにはよく遊びに行っていたそうだ。私たちは胸をときめかせて早くも六月ごろから旅行の準備を進めていた。

 ところが、である。七月中旬になって、アランの体調に異変が起こった。夜中に起き出し、右足首が痛いと言う。はじめは捻挫かと思われたが、やがてそれは激痛へと変わっていった。踵を床につけることもできなくなり、トイレに行くにも這っていく有り様である。一体この痛みは何なのか。緊急病院で診てもらったものの、医者にも原因はわからないと言う。レントゲン検査の結果、骨折の恐れはないとのことで、おそらく捻挫か通風のいずれかだろうということになった。痛み止めの飲み薬と、患部を氷で冷やす対処療法を続けること二週間。痛みは波のように繰り返し訪れるらしく、これでは奇跡でも起きない限り旅行は無理だねと話し合った。そして、グザビエだけでも一人で行ってもらおうと。

 出発前日、グザビエに別荘の鍵を渡すため、タラールまで車で来てもらった。なんだかお通夜のような雰囲気の中、もそもそと夕飯を食べた。アランの痛みがひどく、夜中にうめき声を上げるので、私は本気で神に祈った。ああ、もう旅行などどうでもいい。彼の苦痛を取り除いてください。どうか彼を救ってくださいと。
 そして奇跡が起こった。翌朝、アランはけろりと起き、痛みが去ったという。もちろん全快ではないが、松葉杖を使えばなんとか歩けそうだと。ではということで、慌てて旅行の準備をし、いざ出発となった。


  

 朝九時頃タラールを出発し、南仏のトゥーロンまで車を飛ばす。途中休憩と渋滞も含め七時間ほどかかる。そこからさらにコルシカ島行きの船に乗り換える。真夜中近くになってやっと出航した。船が港を離れる。淡い光に照らされた街がぐんぐん遠ざかる。闇の中で踊る波が獰猛な虎の牙のようにも、無邪気な鴎のダンスのようにも見え、私は魅了された。 

 ロマンティックな船旅を期待していた私の期待はしかし、少なからず裏切られることになる。プライベートの有料寝室は予約制となっており、金銭的に余裕のないほとんどの客たちは床に雑魚寝するしかない。煌々と光の灯ったままの廊下に襤褸雑巾のような躰を横たえ、私たちはなんとか眠りについた。 

 







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Sari
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