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【フランス生活エッセイ】聖樹
久々の投稿になります。みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
大晦日の、あと数時間で2024年も終わろうというところに無理やり文章を
載せようとしている往生際の悪い私ですが、よろしければお付き合いください。(笑)
フランスでは、クリスマスから1月6日の公現祭 (l'Épiphanie) までがひと続きの祝祭の時間と考えられているようだ。街を歩けば、1月を過ぎても店先にクリスマスツリーが飾ってあるなんてことはざらにある。
私たちの住む街でも、毎年十一月中旬になると、巨大な木もみの木が教会の広場に飾られる。それはどこからか運ばれてきて、いかにもおざなりな飾り付けをされ、一月まで放置される。雨の日も風の日も、もみの木はむっつりとそこに立っている。何かの間違いでリボンを付ける羽目になった朴念仁みたいに。
二〇一九年四月に火災に見舞われたパリのノートルダム大聖堂の修復が終わり、十二月七日に再開記念式典が開かれた。アメリカのトランプ次期大統領や、起業家のイーロン・マスク、ウクライナのゼレンスキー大統領、イギリス王室のウィリアム皇太子など錚々たるメンバーが出席し、マクロン夫妻が彼らを出迎えた。
後日、式典の様子をYoutubeで観た。年月とともに煤けてしまった柱は純白を取り戻し、ステンドグラスは樹氷のように煌めいている。美しく清らかな力がこの国に舞い戻ってきたようで、躰の芯がすっと正されるような気がした。
冷たい空気が足指まで染み込むようなある日のこと、私たちは自動車学校に通うことになった。アランはかねてから田舎に引っ越したいと言っているのだが、そのためには車が必要になる。ところが彼も私も免許を持っていない。ではふたり同時に登録しようということで、話がまとまったのだ。
幸い、自動車学校は自宅から五分ほどのところにある。実は夫はうんと若い頃にこの学校に登録していたのだが、その時は色々な事情があって通学できなかったそうだ。それで長い時を経てまたやり直すことになったのだ。
「ああ、君ね。まだ書類も残ってる。ようこそ、またよろしくね」
受付の男性は親し気に言った。
「おお、ジャン。まだここで働いているのか。こちらこそよろしく」
アランは旧友に再会したような笑顔を見せた。
ジャンと呼ばれた男性は、年の頃は四十代くらいだろうか、革のジャンパーにジーンズというラフな格好で、スポーツマンのように快活な人物だ。歯切れよく朗らかに話す。きっと多くの生徒を受け入れ慣れているのだろう。
その日は簡単な説明と書類の提出だけで終わり、後日テストのためにまた来ることになった。
まずアランの番が来て、数日後に私の番が控えていた。彼はどのような様子かを教えてくれた。
「モニター画面を見ながら運転するんだ。もちろん本物の車じゃない。バーチャルの街を、バーチャルの車で走るんだ。そんなに難しくないよ。僕はかなりいい線いったと思う」
彼は誇らしげに言った。もともと運動神経がいいアランのことだから、私はあまり心配していなかった。
ある日とうとう私の番がやってきた。ジャンがにこやかに出迎えてくれ、手順を説明してくれた。ゲームセンターによくあるレースゲームのような運転席に座り、ヘッドセットを装着する。簡単な質疑応答を終えると、いよいよ実践である。目の前に広がるバーチャルリアリティーの街。アクセルを踏み、ハンドルを切る。長い間「とても大人っぽい行為」に見えていた運転というものに、今取り組んでいるのだ。私は胸が高鳴るのを感じた。
しかし結果は惨憺たるものだった。
道にめちゃくちゃにぶつかるものだから車を三度も故障させ、トンネルに入ればランプの点灯の仕方がわからずワイパーを動かしてしまう始末。「初めてなんだからこんなものだよ」とジャンは励ましてくれたが、私は穴があったら入りたい思いだった。もし入学を断られたらどうしようと思ったが、幸いそのようなことはなく、受け入れてもらえることになった。
自動車学校を出ると、門前でアランが待っていてくれた。経緯を簡単に説明すると、アランは爆笑した。暗くなりかけた空に、けたたましい笑い声が響く。
「どうして今まで免許を取らなかったか、わかったでしょ?」私は赤くなって言った。
「そうだね。予想はしていたけれど、それ以上だった。これが現実の世界じゃなくてよかったよ」
「それにしてもこの年になってこんなに冷汗をかくとは思わなかった。もう大抵のことには動じないつもりでいたのに」
「学ぶことはまだいくらでもあるよ。『無知の知』ってソクラテスも言ってるだろ?」
「それもそうね」
家への道を帰りながら、ほの昏い教会の広場にもみの木が聳え立っているのが見えた。それは例年の仏頂面をしたツリーとは似ても似つかない代物だった。もみの木は一面に電飾をまとい、きらめく星が幹を伝い流れ落ちてくるように見える。青白いひかりに守られて、聖樹は誇らしげに輝いていた。アランは口笛を吹いた。彼はいつも「フランスで一番みっともないツリーだ」と罵っていたのだが。
もみの木を見上げながら、彼はぽつりとつぶやいた。
「来年もいい年になるといいね」
そして私たちは家路を急いだ。あちこちで灯りはじめたオレンジ色のひかりを後にして。
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