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【連載小説】見習い魔女は魔王様と②
第二話 豚キムチ丼
漆黒のマントに漆黒の流麗な長髪、闇夜に映える碧眼を携えたその男性は、やおら身動きをはじめたかと思うと、そのままこてん、とリコの使っているベッドに倒れこんでしまった。
「えっ」
リコが思わず声を上げる。すると、その男性は蚊の鳴くような声で、一言こう漏らした。
「おなかすいた……」
リコは急いで、冷蔵庫の中身を確認した。賞味期限が迫ったキムチに賞味期限の少し過ぎた生卵が一個、確か冷凍庫には豚バラ肉が眠っているはずだ。野菜室を覗くと、切断面からたくましく伸びた長ネギが転がっていた。長ネギの切断面が伸びる現象には「傷害伸長」という仰々しい名称がついているのだが、このときのリコには、どうでもいいことだった。
炊飯器には、昨日の朝に炊いた白飯が、半分残っていた。これならいける。
リコは材料を手早く調理した――といっても、長ネギを引き切りにし、レンジで解凍した豚バラ肉とキムチ、溶き卵と一緒にサラダ油をひいたフライパンに突っ込んだだけなのだが――どんぶりによそった白飯の上に、できあがった「豚キムチ」をダイレクトに盛りつけた。
部屋に漂う香ばしさに、男性はのそのそと身を起こした。おもむろにマントを脱ぎ捨て、緩慢な動作で「豚キムチ丼」の用意された食卓の前に正座すると、リコが「どうぞ」というのと同時に、勢いよく食べはじめた。
男性のマントの下は、質素なものだった。ファストファッションで売っていそうな黒いカジュアルシャツに、ベージュのコットンボトム。男性は、長い黒髪がどんぶりに入らないよう何度も耳にかける仕草をした。しかし、あまりにサラサラした髪質のためか、するりと前に落ちてきてしまう。
だんだん、それがどうでもよくなったらしく、男性はとにかく腹を満たすことに集中したい様子だった。最後の一口をかっこむと、男性はそれまでの元気な食べっぷりとは対照的に、しずしずと両手を合わせ、「ごちそうさまでした」とリコに頭を下げた。
「大丈夫、ですか」
おそるおそる、リコは声をかけてみる。すると、男性は満腹ということもあってか、先ほどまでの切迫した雰囲気はどこへやら、にこやかに答えた。
「はい。助かりました。ありがとうございます」
「それはよかった」
「とてもおいしゅうございました。これは、なんという料理ですか?」
「いや、『料理』ってほどのものじゃ」
リコは謙遜しつつ、男性を何度もちらちらと見た。白い肌にサファイアの瞳、整った鼻すじに薄めの唇。おまけに美しい黒髪を腰のあたりまで伸ばした男性が、豚キムチ丼を完食してニコニコしている。
本来なら、驚いたり悲鳴をあげたりすべき場面なのかもしれないが、リコにはどうしても、そういった気持ちが湧いてこなかった。リコには、どこかで確信があったのだ。つまり、目の前の男性とは、出会うべくして出会ったのだと。
「あの、リコです。作草部リコ。白朋大学の2年生です」
「なるほど、これはサクサベリコという名前の料理なんですね。それで、ハクホウダイガクノニネンセイというのは、調理法のことですか?」
男性が、決して茶化しているわけではないということは、彼の口調から判断できた。リコは面食らったが、すぐに気を取り直して答えた。
「リコというのは、私の名前です。いま食べてもらったのは、豚キムチ丼です」
ちょっと馬鹿丁寧だったかなとリコは思ったのだが、男性は感心した様子で、胸ポケットから折りたたまれた紙片と古びた筆記具を取り出し、メモをしはじめた。
「『リコ』が名前で、『ブタキムチドン』は、美味」
呟きながら書き込む男性に、リコは思わずふき出した。
「あの、あなたのお名前をきいてもいいですか?」
リコの問いかけに、しかし、男性の表情はみるみる曇っていった。あれ、いけないことを訊いちゃったかな、とリコが内心焦り、「あ、麦茶飲みます?」と冷凍庫の扉に手をかけたとき、男性はおずおずと告げた。
「……わかりません」
「えっ」
「すみません」
「別に、謝ることじゃないです」
「思い出せないんです」
満月の夜が、静かに更けていく。リコは、空になった丼を見つめた。男性はしばらく、申し訳なさそうにうなだれていたのだが、満腹になったおかげか、やがて寝息を立てはじめた。
豚バラ丼を食べたのに歯磨きをしないで就寝するなど、リコには到底考えられないことだった。慌てて未使用の歯ブラシを探すと、洗面台の下のカラーボックスの底に、そのうち使おうと思っていた一本が出てきた。
「眠るなら、ちゃんと歯磨きしてからにしてください」
舟を漕ぐ男性の頬を、リコはぺちぺちと叩いた。きめが細かく白い男性の肌は、血の気を感じさせない冷たさがあった。リコはドキドキしつつも、頭の片隅では、翌日に一限目の授業があることを思いだしていた。
③につづく
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