「じゃないほう」にグッとくる?
8月が終わる、夏が終わる、終わってしまう。そこには何らかの感傷が伴いやすい。かたや「冬が終わってしまう」とはあまり表現されない。「春が来る!」というワクワク感のほうが強調される。そのことが、真冬生まれのせいか私にはなんとなくもやっと感じられる。
なので、その「もやっ」をも抱擁(包容)するようなテンションのnoteを書こうとPCに向かったはいいけれど、私の根っこにいるであろうサムシングが、礼儀正しく定型的にセンチメンタルになることを許してくれない。
気になっていることがある。他人様にあまり興味のない私にしては珍しいことだ。ましてやそれが「他人の思考(嗜好)」についてのトピックだから、これはたぶん夏の魔法の残滓です(という言い訳)。
当たり前を当たり前と思っていると、当たり前が当たり前になってしまう。これは当たり前だけど一方で恐ろしいことだ。当たり前じゃない(と自分が認識する)コトモノを否定批判・拒絶・無視・排除する大いなる大義名分になってしまうから。
8月31日の夜。書籍が発売されて、数件のフィードバックもいただき、嬉しいし光栄だし、背すじがしゃんとするし、いい意味での「発信者としてのプレッシャー」を感じつつもこれが次のステップ(内容は未定で不明)に繋がる契機になると思うと、正直ワクワクしている。多くの人が春を待つ時のアレに似ているのかもしれない。
こんな気分で8月31日を迎えるのは、きっと人生で初めてだ。
私はあの場所から逃げ出したし心身に消えない傷を負ったし、さんざん周囲の人々に心配/迷惑をまき散らしたけれど、それはあの瞬間瞬間で生き延びるために必要なことだった。
そう例えば、統合失調症の人が好き好んでで暴れているわけではないように。かつて自分の命の危機や激しい焦燥、熾烈な苛立ちと恐怖からくる混乱ゆえ暴れた結果、保健師に騙されて連れていかれた精神科の閉鎖病棟で医師に注射で薬を体内に注入され昏倒させられて保護室(という名の独房)にぶち込まれたマイダーリンは、現在ではまさにそういった瞬間に苦しむ人たちに寄り添う活動を地道に続けている。彼の優しさが半端ないのは、彼が言うには
「正気」になんて今さら戻りたくないよ。だって「正気」とやらに戻るべき「正しさ」が、僕には理解できないから。
そんなこんなで今日も元気に、誰かが勝手にあてがってくる定規においては私たちは華麗に狂ってハッピーなのだ。
こういう類のことを書くと、コイツ調子に乗ってんなーくらいには思われる場面も実はあって。うん、乗れる調子があるときには乗って、何が悪いのかしらん? 確かに、故意に誰かの尊厳を傷つけたりおびやかしたりするようなことに腐心するのはアウト。でもそれを「調子に乗る」と表現するのはやめてほしいな。
だって、「調子に乗る」って、本来ポジティブな意味合いじゃなかった? 「図に乗る」と混同されがちね。もっとも言葉なんて借り物なので、使う文脈や時代でいくらでも中身が変わるから(「素晴らしい」が昔、ネガティブな意味だったように)、細かいことはどうでもいいけど。
「調子に乗るな!」の大合唱に加わってしまうピーポーは、乗れる調子がある人をやっかんでいるのです。はみ出せて自分を表現できて心が自由である人を、そうじゃない人々(はみ出す勇気もなく、コピペでしか発信できず、その結果心がギッチギチに硬縮している系)は、喜んで攻撃の対象にするね。
今なら言えるなー、そういう人々に向かって、純然と、
可哀想に。
って。
さて、ここまで書いておいてなんですが、本日の本題は以下です。
「他人の思考(嗜好)」について珍しく気にしている笹塚心琴プレゼンツ・THE「どっちにぐっとくる?こない?」
私が提示したいのは、至ってシンプルな問いです。すなわち、「以下の言葉について、どれくらいの人が自分に似た感覚を持っているのか」を、なんとなーく知りたい、それだけの企画です。
冒頭、「当たり前を当たり前と思っていると、当たり前が当たり前になってしまう。」と書きました。当事者にしかわからない感覚も勘案して、よろしければ以下のアンケートにお答えください。
Q.「じゃないほう」にグッときますか?
①池袋じゃなくて沼袋
②下北沢じゃなくて上北沢
③バタフライピーじゃなくてバタピー
④小川町じゃなくて小川町
⑤霞ヶ関じゃなくて霞ヶ関
⑥特急じゃなくて各駅停車(各駅しか停まらない駅に停車時テンションが上がる)
①~⑥のうち、「じゃないほう」に「わかるわー」と感じてくれる方がどれくらいいるかなぁ、それをなんとなく知りたいんだよねぇ、という、なんともモチベーションとビジョンの曖昧な試みですが、もし一緒に遊んでくれる方がいたら遊びましょう。あと、もしもっと「こんな『じゃないほう』があるよ」と、ゆるりと教えてくれたら嬉しいです。ゆるりとね。
だって、8月31日の夜だもん。理由なんて、それだけで十分だよ。
よくぞここまで辿りついてくれた。嬉しいです。