生きていてくれるだけでいいと教えてくれた母の生き方
母は口下手です。
どもる時もある母は、ほんと話すのが苦手なのだなと感じてきました。最近はひどくなくて、気になることがないのですが。
母も自分でも、私は話すのが苦手だからと言います。
口が回らないというのもありますが、言い方がへっ?と思うこともあります。
それ、そんな風に言っちゃう?みたいな。
そんな、母は、37歳の時に夫を亡くし、私たち姉妹を、夫の実家で育てるという、偉業(私からしたら)を成し遂げていて、すごいなと思う人なのですが、
いかんせん、言葉がなくて、私や妹は、母に愛されているのかもよく分からない時期があったように思います。
あまりにも言葉での表現はないし、亡くなった父に関しての話も(タブーなのか?とこっちもそのことを勝手に尊重しようとするくらい)しないので、
自分自身の気持ちを母に話すことがないままに思春期を迎えました。(そして、そのあたりで私はこわれました。)
その時の流れ的なもので、私が生まれた頃の育児の主流が、赤ちゃんの時に抱っこをなるべくしないで育てるというもので、今では逆なことが主流のような感じで、あまりの違いにびっくりですが、
母も、それが正しいと思っていたし、祖母や周りもそう思っていたから、言葉がなくとも、スキンシップというものから何かを感じ取るということもなかったんです。
でも、母子家庭でがんばっている母の背中を見て、たまーに出る、とっさに出た人への言葉から、
私たち子供を守ろうとしているのだと感じたり、私たちが喜ぶだろう場所にできる範囲で連れていってくれていたので、私たちは幸せなのだとも思っていました。
そんな母が、私たちが30歳を越え出してからよく言い出した言葉が、
「私が先に逝くのだから、その先は自分たちで生きていくのだから、私は何も言えない。」
というもの。
妹が海外転勤もある人と結婚を決めた時も、私がやりたいことを選んでそれまでの仕事を辞めた時も、
自分の思いはあるけれど、それを言ってもねという感じで、居る母。
叔母や祖母は自分の考えや、なんやらを母にいろいろ言っていたけれど、そこは「そう言われたってねー。」と軽くではなくても、仕方がないしと、自分の中でおさめていて。
そんな一連の様子を見ていたら、
娘として、親にこうしてほしいとか(ほんとはちょっとあるけど)、それよりかは、
生きていってほしい
なんだよな。と。
夫を亡くしているからこそ、なんか芯の部分が強いというか、大事なことはそこなんだというところを、この人は感じて思ってくれているんだなと。
まぁ、わたしの勝手な解釈かもしれないんですけれどね。
娘がせがみにせがんで買うことになった風船。
1週間くらい持つということでしたが、この時から3週間以上経っている今でも天井にいてくれています。
ありがとう。