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九州横断キリシタン街道

私はプロテスタントのクリスチャン。日曜日は家族3人➕ワンコ1匹で、熊本市の北、菊池市の教会にイソイソと通います⛪️
自分で言うのもなんですが、素敵な牧師先生ご夫妻との歩みは本当に幸せです😀
ところが。。。毎週あたりまえに通っていたこの道が、実はかつてのキリシタン街道であったと知りました!ショックというか、何というか。。。とにかくビックリです🫢
少し説明します。



キリシタン街道(キリシタンロード)は、アルメイダ街道とも呼ばれている。

その昔、宣教師達は九州西側の長崎・島原に多くいた。そして九州東部の別府湾に面した豊後府内に足繁く通った。

そこはキリシタン大名、大友宗麟の領地だった。そしてその東側の海は、そのまま瀬戸内海へと続く。京都までつながる主要なルートだった。

当時の肥後街道や豊後街道をキリシタン研究者の間ではキリシタンロー
ドと呼ぶようになった。

順番に追ってみるとこんな風
     ↓↓↓


長崎・島原→有明海→
玉名市高瀬(菊池川河口)に上陸→
山鹿(徒歩または川登り)→菊池→
阿蘇外輪山の山道と峠越え→
兵戸峠(又は穴川峠・宿ケ峰尾峠)→
小国→久住→竹田市(長湯温泉)→
そして大分の豊後府内到着。

Googleマップでこんな風になった

水色の点々がキリシタン街道
阿蘇外輪山の北側の山道を横断


くじゅう連山という美しい山々を眺めながらの旅だったからいいね!と思ってしまいそうだけど、それは、厳しい道のりだったと思う。Googleナビだと、不眠不休でひたすら歩き、1日10時間と出た😣
当然車もない、馬に乗ったわけでもないから。
そしてこれが、最短ルートに近かった?みたいだ。

なんだか使徒パウロの宣教の旅を彷彿と思い起こしてしまう。
きっと行く先々に、名もなき人々がいて、彼らは拙い日本語で、神様の愛をといたのだろうか。
そして信じる人々が実際いた事は史跡が語っている。

また、この街道は後の江戸時代、参勤交代でこのルートで横断した大名達もいたのだという。
「豊後街道」(ぶんごかいどう)は、現在の熊本県と大分県を結ぶ道。
熊本側からは「豊後街道」と呼び、
大分側では「肥後街道」(ひごかいどう)と呼んだ。

キリシタン街道の特徴は、沿線に温泉や湧水が多いこと。
宣教師たちは温泉の効用をよく知り病人の治療、湯治として用いた。
玉名温泉♨️
山鹿温泉♨️
菊池温泉♨️
黒川温泉♨️
長湯温泉♨️

特に日本一の炭酸泉長湯温泉は、ドイツの炭酸温泉の泉質と似ていて古くから湯治として知られていた。
竹田市直入町は、今もドイツの温泉町バードクロチンゲンと姉妹提携していて、ドイツ村という宿泊施設があるくらい。

また宣教師たちは阿蘇の台地から湧く名水を洗礼用の聖水として用いたらしい。


戦国末期、江戸時代このキリシタン街道沿いにはキリシタンが多く住んでいて、遺跡が多く発見されている。
豊臣、徳川のキリシタン禁制後も
多くの人々は隠れキリシタンとして、表向き仏教徒を装いながら、隠れてデウス(イエスキリスト)を礼拝していた。

私の教会のある菊池市と隣の山鹿市に、キリシタン達の足跡が多く残されている事もわかった。

けれども残念な事に、墓碑や墓地はあるのだが、そこにどんなキリシタンが生きて、どんな人生を歩いたのか、その悲しみや怒り、そして喜び、天を仰ぎ何を祈っていたのか。。。その物語まではわからない。
古文書とか、どこかに手掛かりがあるとよいが。。。



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