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世界遺産の探策道Ⅳ*島原有馬川
月は自分だけで光れない。
太陽の光をもらって輝く。
キリシタンの人生は月のよう。
たとえ世界が暗い時も
主イエス・キリストの
光をうけて輝く。
熊本から島原半島を目指す方法は2つある。
陸路・高速道路で北上して福岡・佐賀・長崎へ大回りして南下する方法。
もう一つは、有明海をフェリーで渡る方法。
私は熊本の長洲港から島原の多比良港までアクセスしてくれる有明フェリー⛴️に車ごと乗って旅をした。
少し前の旅だけど思い出しながら、書き残せるって本当に嬉しく感謝な事☺️
実は、この旅の数週間前から大雨強風注意報が出ていた。
なので何回も迷った。せっかく行っても何も見れないかも。危険な目に遭うかも。
でも神様が背中を押してくださるような。。。そんな力を感じて出発した。
長洲港でフェリー欠航の可能性もあったけど、運行が告げられた。
やったぁ〜感謝感謝!
無事フェリーに乗りデッキに出ようとしたけど、あまりの強風に扉が開かない💦そして船は揺れたけれど、ちゃんと多比良港に着岸した。感謝!
私はまっすぐに島原城へと向かった。島原城は2回目。
でもあの時はただ漫然と「そこにあったから行った」そんな感じだった。
何の予備知識もないまま行き、しょっぱなから雲仙地獄に突き落とされる宣教師、キリシタンの絵図を見て、あまりのショックに言葉を失った。
だから今回はちゃんと心して、もう一度見てこよう、そんな気持ちだった。
わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。
ルカによる福音書9章23~25節
島原城
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でも何か心が痛みます。この立派さの裏で多くの人々の命が失われました。
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以下は説明文そのまま記します
カトリック島原教会の
ステンドグラス:苦しみの神秘
①有馬川の殉教(1番左の絵)
生命の川の岸辺に燃える有馬川の8人の殉教者
有馬晴信の後を継いだ直純は重臣たちに棄教を求めた。しかし従わない者もいた。そこで奉行は処刑することにした。
1613年10月7日、レオ林田助右衛門と妻マルタ、娘マグダレナ、息子ディエコ、アドリアノ髙橋主水と妻ヨハンナ、レオ武富勘右衛門と息子パウロが有馬川の中州で火あぶりとなった。その日は2万人あまりの信者が集まり、その中での殉教であった。
12歳のディエゴ林田は柱の縄が焼け落ちたとき、燃えている母マルタの足元に駆け寄った。そのとき母は、「天を仰ぎなさい」と指さして、母子ともに神をたたえながら殉教死したという。
②島原海の殉教(真ん中の絵)
波間に沈む内堀3兄弟殉教者
有馬氏が延岡へ転封されると、島原地方は一時的に幕府の管轄下となった。やがて松倉重政の統治が始まると、さらに取り締りが激しくなった。
1627年2月21日、島原城の牢獄から16人の信者が引き立てられて、島原の海で処刑されることになった。激しい拷問でも信仰を捨てなかった16人は真冬の島原海で次々殉教する。
まず指切りの拷問が始まった。5歳のイグナチオ内堀は、切り取られた手を顔近くに差し上げて、苦しみもせずに真っ赤なバラでも眺めるように見つめていたという。さらに船に乗せられ、海に投げ込まれては信仰を棄てるように責められた。「こんなに大きなお恵みのために神に感謝しましょう」といって、アントニオ内堀は殉教死したという。
③雲仙地獄の殉教(1番右の絵)
証の山に登る雲仙の殉教者
激しい拷問を加えても信仰を捨てない信者達に領主松倉重政はさらに残酷な「地獄責め」の刑罰を思いついた。
1627年2月28日島原村の有力信者パウロ内堀作右衛門をはじめ16人は島原から引き立てられて雲仙へと向かった。雲仙地獄は泥まじりの熱湯を噴き上げていて文字通りの地獄である。裸にされ、首には縄をつけられ1人ずつ飛び込めと命じられた。パウロ内堀は逆さ吊りにされて何度も煮えたぎる地獄に落とされた。
さらに5月17日、口之津、深江、八良尾の庄屋、島原の武士ら10人が雲仙地獄へ引き立てられた。信仰の地である故郷が一望できる地で一休みした時の歌が残っている。
「遥かなるパライソ身近に今ぞ見るこの喜びに心高鳴る」(エアキム峰)
「引かれゆく命はてなし故郷を眼下に見ては名残り尽きざる」(パルトロメウ馬場)
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その年の出来事とパウロ内堀の年表
1580年有馬晴信洗礼。内堀、出生1590年遣欧少年使節帰国。内堀10歳1600年関ヶ原の戦い。内堀20歳
1612年有馬晴信自刃。内堀32歳
1614年有馬純忠延岡転封。内堀34歳1620年教皇へ感謝の手紙。内堀40歳
1627年雲仙地獄でパウロ内堀作右衛門殉教47歳
2008年パウロ内堀副者となる
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ローマ教皇への感謝と決意の手紙
「教皇様からのお手紙本当に感謝いたします。私たちは迫害のまっただ中におかれ、苦しみの中にいますが、教皇様のお声を聞き、勇気づけられました。私たちは信仰の証としてこの命を捧げようと、心は燃え上がっています。迫害の苦しみを信仰をもって耐え忍び、最終には天国で終わりのない永遠の報いに預からせてくださいと神にお願いしなさい、とのお勧めに、もったいなく感謝の気持ちで一杯です。本当に幸せについて教えてくださる主のみ言葉に耳を傾けて、その教えに永遠に背くことがないようにと、堅く決意しています。
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(天正遣欧少年使節の4人が描かれてる)
右のステンドグラス→島原半島に宿り成長したみことば-アルメイダと
バリニャーノの使命
真ん中のパネルは神学校セミナリヨとコレジヨについて書かれてる
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こんなのが残ってる!すごい!古い!
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用語について
バテレン・・・・・・・・宣教師のこと
イルマン・・・宣教師に次ぐ位の修道士
立ちかえりの者・・再び信仰回復した者
同宿并宗門・・・・・・・伝道師と信徒
奉行・宗門改役のことで宗門に対する警察・司法の権限を持つ
報奨金銀500枚の価値って?
銀1枚は、銀43匁(もんめ)としてる。金1両を銀60匁として換算すると、銀500枚は、およそ350両となる。金1両の価値は、時代によって大きく変わるが、現在の貨幣価値で1両10万円とすれば、3500万円以上となる
お米に概算すると、銀100枚は米142石に相当する。米1石は150キログラムで、およそ大人が1年に消費する量だという。(金銀の交換比率は時代によっても大きく変動がするためあくまでも試算)
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マリア観音など
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参加した村、参加しなかった村
一部だけ参加した村の地図が興味深い
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キリスト教が盛んだった戦国末期に多くのキリシタン武将がいた。彼らは刀にキリシタン鍔を用いていた。それが後世、一種のアクセサリーとなって続いていく。
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興味のある方は拡大してみてね🏯
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カトリック島原教会
島原半島に土地勘のない私は、島原城から海沿いのルートで、原城に向かおうとしていた。
でも道に迷ってしまう💦
実は迷った事がよかったんだ、と後から思った。
通りを走ると十字架が見えたのだ。え?教会?
そう、教会だった。そっと敷地におじゃましてみる。
カトリック島原教会だ😳😳😳
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敷地の中にレリーフやキリシタンらしき人々の彫像がたくさん😳
え?何?何?
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十字架の道行きは、わたしたちの罪と償いのために十字架を担われ、神の赦しを願ってその命を捧げられた
主イエスキリストの受難の道をたどり、黙想する信心です。
各留の前で、イエスの受難の出来事を想い起こし、自分の人生を重ねながら黙想し、順次たどって行きます。
わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。
ルカによる福音書9.23-25
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説明文の一部
『かれがこんなにも大きな愛情と熱意に満ちた活動を続けたので、この国は、けっしてかれのことは忘れられることはないであろう』 フロイス「日本史」
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パウロ内堀の3人の息子像。
パルタザルと18歳の弟アントニオ
5歳イグナチオ。幼な子も他の仲間同様指を切り落とされた。その時、腕を目の前にかざす。「美しい薔薇を見る人のようにゆっくり傷口と流れる血を眺めていました。」とフィレイラの報告書は記している。その後裸にされ有明海の2月の冷たい海に沈められた。次男アントニオは沈む間際父に叫んだ。「お父さん、こんな大きな恵みを神に感謝しましょう。」
キリシタン家臣の多くは武士を捨て農民として信仰に生きた。子供達はその親のぶれない信仰を見て育つ。
そして彼らに寄り添いながら潜伏司祭として中浦ジュリアンはいつも隣りにいた。
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初代セミナリヨ一期生で天正遣欧少年使節としてローマに渡り、帰国後潜伏司祭として最後まで歩んだ。1633年西坂で殉教した。4人の中で一番凡庸で素朴な少年を神様は、真理の道への案内者とされた。
『この大きな苦しみは神への愛のために』
中浦ジュリアンの言葉
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十字架にかかりし主イエス
そして聖堂内を見回して本当に驚いてしまった。
島原城でさっき見てきたばかりのステンドグラスの本物が今、目の前にあったから。
偶然立ち寄ったはずなのに。
でも偶然ではない。
神様はこの旅を導いてくださってると思った。
なぜなら私が車で移動する時だけ
大雨は降った。
目的地に到着すると雨は止んで車を降りることができた。
不思議な旅だった。
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(イエス様の誕生ベツレヘム)
左側 島原半島に宿り成長したみ言葉
(アルメイダとヴァリニャアーノの使命)
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有馬セミナリヨ
地方教会と普遍教会の架け橋となる
4人の少年施設たち
左側 ゲッセマネのイエス
(試みの教会)
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有馬8人の殉教者
左側 『お父さん生贄の子羊は
どこにあるのですか』
波間に沈む内堀3兄弟殉教者
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左側 『パンを裂いてくださった時に
イエスだとわかった』
復活の主イエスとの出会い
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『真福八端』マタイ福音書の山上の説教
8つの幸せについての教えを表す。
1パリサイ人と収税人(ルカ18,9〜)
心の貧しい人々は幸いである
天の国はその人たちのものである
2幼児殺害(マタイ2,16〜)
悲しむ人々は幸いである
その人たちは慰められる
3十字架上イエスの隣人(ルカ23,32〜)
柔和な人々は幸いである
その人たちは地を受け継く
4金持ちとラザロ(ルカ16,19〜)
義に飢え渇く人々は幸いである
その人たちは満たされる
5柔和に働くエリサベツ(ルカ1~2)
憐れみ深い人々は幸いである
その人たちは憐れみを受ける
6家族の保護者ヨセフ(マタイ1~2)
心の清い人々は幸いである
その人たちは神をみる
7放蕩息子の帰還(ルカ15,11〜)
平和を実現する人々は幸いである
その人たちは神の子と呼ばれる
8ステパノの殉教(使徒行録7,54〜)
義のために迫害される人々は幸いである
天の国はその人たちのものである
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橙丸🟠カトリック島原教会
黄丸🟡有馬川殉教地
黄丸🟡有馬セミナリヨ跡
黄丸🟡日乃江城跡
緑丸🟢有馬キリシタン遺産記念館
青丸🔵原城跡
白丸⚪️談合島(湯島)
Google maps
有馬川殉教地
Google naviを頼りに有馬川殉教地へ向かった。はず???
ナビは田んぼの中に私を誘導して行く💦
見晴らしはいいけれど、車一台がやっと通れる畦道。ほんと?大丈夫?
心細さmax😥
あ、、、見えてきました。
ここは、さっきの島原教会の入り口の右側にあった像「マグダレナ林田」とその家族の林田一家、髙橋一家、武富一家の殉教地です。
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8本の柱は8人の殉教者を現すそうです。
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残しておられるのを見つけました。
『長崎での列福式の年に町長さんのご好意で、殉教地としてカトリック島原大司教区に、お分けいただいた土地です。
8本の柱は、殉教した福者を表現しています。また記念日には島原カトリック教会の主催で、ロザリオの祈りが捧げられ続けています。
十字架が建ち、整地された時は長崎から高見大司教様がいらしてくださり、祝別式とミサがありました。雪の中の祝別式は、今もよく覚えています。
風の交わる場所でいつもミサの時のヴェールや式次第が飛ばされたりします(笑)
でも、ここは観光地でなく、本当の聖地といえるかと思います。ここが殉教地だというのではなく、殉教のあった有馬川沿いの「祝別された場所」ということになります。
私も時々草取りしています😊』
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有馬川殉教巡礼地
この辺りまで入江だった時代、棄教を迫る領主に対して無抵抗の抵抗を行うキリシタンへの見せしめに、中洲で8人のキリシタン柱に縛りつけられ火刑となった。
殉教者はアドリアノ高橋主水と妻ヨハンナ、レオ林田助右衛門と妻マルタと娘マグダレナと息子ディエゴと、レオ武富勘右衛門と息子パウロ。1618(慶長18)年10月7日のことである。
見せしめのはずの処刑は、二万人の人が見守り、かえって人々の信仰を強くさせたとして、翌年の禁教令を発令させる誘因の一つとなったという。
利福を記念し多くの人々の巡礼行に供するため、ここにこれを記す。
ペトロ岐部と187殉教者の列福式の日
(2008年11月24日)に
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たわわに実るそうですよ。
今回残念ながら雲仙教会には行けなかったので、購入した絵はがきをお載せします⭐️
いつかこのステンドグラスも見てみたいです。
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左側 カトリック雲仙教会
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右上:たたずむ聖母と日本の教会
右下:聖母の組(信仰教理の教育を担当した人々。どちりなきりしたん教理問答)
左下:慈悲の組(病人・孤児・貧困者への福祉の活動)
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右上:剣を鋤に、槍を鎌に。原城跡から出土した十字架など。
右下:聖体の組(迫害時代、聖体の前で殉教する仲間、棄教する仲間のために祈る聖体の組が祈りの時用いた。
島原の教会の歴史
1563年 有馬義直(大村純忠の兄)に招かれアルメイダとロレンソ了斎により宣教開始する。
有馬義直が洗礼を受け、領民の2万人以上が洗礼を受けた。
後継有馬晴信夫妻も洗礼を受ける。領民の7万5千人が洗礼を受けた。
1579年 ヴァリニャアーノによる口之津宣教会議で日本人司祭の養成が決まる。
セミナリヨ(初等教育)、コレジヨ(高等教育)、ノビシャド(修道所)、印刷所、ミゼリコルディアなどの福祉・教育・信仰などの場が誕生して行く。こうして島原は日本の教会のゆりかごとしての役割を担う地になった。
これから始まる迫害時代の羊たちを導く司祭達は、この地の有馬セミナリヨで生まれ巣立って行ったからだ。
1587年豊臣秀吉による禁教令
有馬晴信は有馬領内のキリシタン、宣教師を守る。
1609年岡本大八事件
1612年徳川幕府は江戸京都禁教令
有馬直純はキリシタン妻を離縁し、迫害へと身を投じていく。
1613年 有馬川の殉教
1614年 徳川幕府全国的禁教令
1614年 有馬直純 日向延岡転封
1618年 松倉重政弾圧と島原城の築城着手 今村刑場の設置
松倉氏は幕府に、実際より多くの石高を申告(粉飾決済?)し、その穴埋めとして民への取り立てを厳しくした。
1627年 島原海(有明海)の殉教
この年から次々と雲仙地獄での弾圧と殉教エスカレートしていく。
1634年 凶作の3年が始まり、松倉氏の年貢と税の取り立てもエスカレートしていく。
年貢を納められない民を弾圧していく。
1637年 島原の乱
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「殉教者の道を行く」より