荘子の有名な説話に『胡蝶の夢』がある。 あるとき、彼は夢の中で蝶となって飛んでいた。 目が覚めたとき、考え込んでしまう。 「自分は蝶になった夢をみていたのか。 あるいは、夢でみた蝶こそが自分で、 今の自分は蝶がみている夢なのだろうか。」 現実と夢の境界線は不確かなもの。 いずれも真実であり、己であることに変わりはない。胡蝶であるときは胡蝶に、私であるときは私になる。人の一生は限りがあるが、知にはその限りはない。 限りあるものの中で限りないものを追いかけるより、いず
「放下着」(ほうげじゃく) 「いっさいの執着を捨て去りなさい」という意味。 所有している物だけでなく、過去の経歴や成功体験、思い込みや決めつけといった思慮分別をも捨て去る。 もう捨てるものがない、もはや捨てきったという自負までも捨てなさい、という意味が込められている。
姉は絶対音感がある。 彼女より長くピアノを習っていたし、 同じ鍵盤や楽譜なのに その音色は、私のそれと全く異なる。 東京での生活を終え、関西へ戻った際、 音楽への欲求が湧いた。 マズローの法則でいうところの 第5段階「自己実現欲求」※だと思う。 (※自分の持つ能力や可能性を最大限発揮し、 自分らしく生きる自己表現や創造、 なりたい自分になろうとする欲求。) お謡を習っていたので、長唄に興味が湧いた。 お能の謡曲は、ことばに節を設けて音階や抑揚をつけたものだが、長唄は、
十年一昔。 暫くロングヘアーだった。 或るタイミングで髪を切ったら、 目が馴れてきたのか、 美容院へ行く度に短くなり、 今ではショートになってしまった。 お世話になっているヘアサロンはマンツーマン。 男性美容師さんの印象がいつもと違って感じられ、 聞くと、解散宣言(離婚)をされたとのこと。 御本人から告げたらしい。 そういえば、共働きだった両親がリタイヤした後、 暫くして機嫌伺いの電話をすると、 父から「三食一緒だ」とのみ発言された。 当時は意味がわからなかった。 私
今日は2月4日、立春。 「に(2)し(4)」の語呂合わせから、 「西の日」と定められている。 冬の終わりを告げ、春を連れて来る西風。 風の神様といえば、日本では『風神雷神』の風神様が浮かぶが、西洋における風の神はギリシア神話の風の神たち。アネモイ Ἄνεμοι, Anemoi, と呼ぶらしい。 主要なアネモイは4柱。 東風 エウロス Εύρος, Euros いかなる季節とも関連づけられていない 西風 ゼフュロス Ζέφυρος, Zephyros 春と初
東西問わず、いかなる国や世界において、 「魔なるもの」は存在している。 自然の猛威や不条理との不可避な衝突。 運の交差から物事が思う様にならない時など、 それらを何者かの仕業と信じることで、 不思議と気が楽になったりする。 陰極と陽極。 この2つの中心勢力から、バランスの保たれた状態にあると、人は「幸せ」を感じるのかもしれない。 クリムトの作品に心惹かれたのは、聖と魔の融合や、二極それぞれの役割から均衡を見出せた様な気がしたからであろう。 日本では、その姿なき、聖と表
「鬼」は亡者(死者)のこと。 その原語であるインド語 pretaは、「往ける人」(the departed person)を意味する。 「鬼」は単に死者であり、必ずしも餓えた存在ではないが、大抵はこの亡霊は惨めな境界にいる為、後に「餓」の字が附加された。(定方晟『須弥山と極楽』)
note 始めました。 The new chapter of my life is going to start with "note"!
古来より、女神は崇められてきた。 どの女性の中にも様々な女神が存在すると思う。 ときに助けられ、励まされ、癒やされる。 美や繊細さから得られる力を信じている。 数年前、好きな絵画作品のジグソーパズルに夢中になった。 水蛇Ⅰ Water Serpents I 世紀末ウィーンを代表するオーストリアの画家グスタフ・クリムトが、1904年から1907年にかけて描いた作品。世紀末特有のテーマ(再生と死、愛と性)が交えてあるといわれている。好んで描いたのは、男を惑わす魔性の女たち
それはそれは興味深々、意気が上がる。
数年前、ある先生から、「君は笛をやりなさい」と言われた。いまだやっていない。 この写真は、フラリと訪ねたお店で見つけたアート。 パソコンのある部屋に飾ってあり、毎日向き合っている。 これは、ローマで発掘されたギリシャの彫刻。 紀元前450年頃、ルドヴィシ王座(祭壇上端部の飾りであるともいわれている)の側面に貼られたレリーフらしい。 3つの面の浮彫表現で、主要面はアフロディーテの生誕かペルセフォネーの出現を示し、側面は、笛を吹く裸体婦人と聖香を捧げる着衣の婦人を示している
父からのメールから。 輪廻する世界である。縁起の世界である。panta rhei.※ 時間は未来から過去へ流れるゆえ、将来という。これも良し。いっしょに流れたらどうなる? ※古典ギリシア語で「全ては流れゆく(It lets everything flow.)」という意味。