自尊心を持たせない子育てとは?
18世紀のフランスの哲学者ルソー。著書「エミール」の中で「自己愛」を持たせる子育てを勧めていたそうです。一方「自尊心」を持たせることには否定的だったのだとか。
この2つ、似てて違う。そしてどうして「自尊心」はマズイのでしょう?
「自己愛」と「自尊心」の違いって?
「自己愛」と「自尊心」の違い。13日の夜にNHK Eテレで放映された「世界の哲学者に人生相談「理想の子育て~ルソー~」で出てきたお話です。
両者の違いを、簡単にまとめると、こんな感じです。
「自己愛」=「自分はそのままですばらしいと思える」ということ。
「自尊心」=「自分は他者と比較してすばらしいかどうか」という思い。
自己愛は他者との比較ではなく「自分らしさ」を肯定して愛すること。だから自分が満ちていく。一方、自尊心はいつも他人との比較なので、いつまでたってもこころが満たされない。
「自尊心」は人生を不幸にする
番組では「自尊心」と漢字3文字で書いていましたが、つまりは「プライド」のことですね。「プライドが傷つく」という言い方がありますが、他人と比較してるのだから自分が低く見積もられるようなことがおきれば傷つくわけです。「傷つけられた」と思ったら反撃にも出ることもあるかもしれませんね。
また「プライド」を保つために、過度に自分に負荷をかけたり、他者を貶めようとするかもしれません。いつも他者と比べているので、内心ビクビクストレスかかえることにもなるでしょう。
つまり「自尊心」は勝ち負けの世界。マウンティングの世界です。「自尊心」を持っても、こころは平和じゃない。幸せも感じられないですね。持つことを否定しないけど、持っていてもしんどそう。
「自尊心」は、自分へ対する条件付きの愛
ルソーは「自尊心」は他者と比較するので、いつまでたっても満たされないと説きます。ただ、ルソーさんにケチをつけるような言い方になってしまいますが、もし100%全面的に「自尊」していれば、他者と比較されても傷つくことはないのかと思います。「あ、負けちゃった」ぐらいで。
なので「自尊心」というのは、わたし風に言い換えれば「他者より優れているわたしを愛してる」という条件付きの愛です。心のなかでは「他者より優れていない」自分のことを嫌悪しているし、否定しているので、とても生きにくい。
一方、ルソーの言っている「自己愛」は、他者と比較せず、そのままの自分をまるごと受け入れ愛することをさしています。自分に対する無条件の愛、全面的な愛です。こちらは自分のなかにしっかりと自分への愛があるから、心は平和ですし、またそのぶん他者に対する愛や尊重も生まれることでしょう。
なのでカギとなるのは、自尊心を持たないようにすることというよりは、どれだけ条件つきの愛を無条件の愛に近づけるか、ですね。それには、まず自分にどれだけ条件を課してるかを知ることが必要になります。そして条件を満たしてない自分のなかのダメな自分、イケてない自分をどれだけ赦せるか、愛することができるか、です。これが自己愛につながっていきますね。
この本が今も紹介されるということは、私たちの多くが「自尊心」に振り回されているからなのでしょう。「自己愛を持つ子供に育てる」のだとしたら、親である自分自身も一緒に「自己愛」を育てていく、ぐらいの気持ちだとちょうどいいのかもしれません。
ちなみに、ルソーの「自尊心」と「自己愛」の話は、SMAP(槇原敬之)の「世界にひとつだけの花」と一緒です。「ナンバーワンよりオンリーワン、それでいいじゃん!ってことですね。
人間の考えてること、やってること、説くことって昔からあんまり変わらないもんだなあと思います。
というわけで、今日の一言。
自尊心持って、人と比べて傷つく。
けど、そんなわたしも、悪くない(これが自己愛)。
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。