言葉にするのをサボらない。
「なんでわかってくれないんだ!」と思うことがある。
腹が立ったり、悲しくなったり、虚しくなったり。
そして、そのわりにわかってもらえるような
伝え方をしていなかったことに気づく。
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雨上がりの午後、公園に出かけた。
日差しが眩しく、雨に洗われた木々の緑が眩しい。
ベンチに腰掛けて、ぼんやりしていた。
ふと、若い親子連れが目に入る。
パパとママ、2歳ぐらいの女の子、
もう一人はベビーカーに乗っている赤ちゃん。
女の子がちょこちょこと早足になる。
ベビーカーのハンドルを持って立って女の子を見守るママ。
パパがママの横で女の子の名前をよぶ。
「○○ちゃん」。
女の子は、そのまま早足で、どんどん進んでいく。
そうだ、あのくらいの年齢って歩くこと自体が楽しいんだよねえ。
見ているこっちも笑顔になる。
「○○ちゃん!」
パパがまた女の子の名前を呼ぶ。声が少し大きくなる。
女の子は振り向きもしないで、そのまま小走りに。
ママもそのまま女の子が歩いているのを見ている。
「〜〜ちゃん!!!」
パパがまた呼ぶ。
女の子が遠くなった分、声も一回り大きくなる。
ちょっとイラついているようだ。
女の子は振り向きもせず黙々と進む。
ついにパパは小走りに女の子を追いかけはじめた。
あっという間に前に回って彼女を捕まえる。
パパが彼女に何を言ったのかはきこえなかった。
次の瞬間、女の子の号泣が聞こえた。
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わたしは、
「あのパパは、女の子にどうして欲しいのかな?」と
思いながらこの様子を眺めていた。
というのは、パパは彼女の名前を呼ぶだけで
どうしてほしいのか、という言葉が全くなかったからだ。
「(危ないから)走っちゃダメだよ」なのか、
「止まって」なのか、
「待って」なのか。
今度は、女の子の気持ちになってみた。
うしろから、パパが自分の名前を呼ぶ。
だんだん呼ぶ声が大きくなる。
うーん、そのまま進みたくなるよなあ…。
それも加速したくなる(笑)。
遠目には、
歩くのを楽しんでいるように見えたけど、
もしかしたらパパの声から逃げて
早足になっていたのかもしれない。
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パパは女の子をなだめたあと、
手を引いてママと赤ちゃんのところへ。
4人揃って、公園の出口へ向かっていく。
そうか、パパが伝えたかったのは
「〜〜ちゃん、待って。一緒に帰ろう」。
早足で歩きながらあの女の子が伝えたかったのは
きっと
「やだ。帰りたくない」。
帰る途中だったから
ママはあそこに立ったままで、ベビーカーを押して
女の子を追いかけようとしなかったんだな。
そして、女の子の走った方向は、公園の出口と真反対だった。
合点がいった。
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わたしたちは、時に
伝えたいことを言葉にしないことがある。
このパパや女の子のように。
特に
親子の場合「言わなくてもわかる」ことも多い。
二人とも、言葉にはしなくても
「帰ろう」「やだ」
という
お互いの伝えたいことはわかっていたのだと思う。
もちろん「言わなくてもわかる」という
コミュニケーションも素晴らしく、心が温まる。
けれど、
「自分の伝えたいことを、言葉にして相手に届ける」
ということをサボっていると
自分が何を思い、感じ、望んでいるのかを
見失って、苦しくなることもある。
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パパは笑顔で
半べそをかいている女の子の手をひいて歩いている。
ママはベビーカーを押しながら二人の横で足並みを揃える。
ママは、赤ちゃんのお世話で大変な頃だ。
女の子が振り向かずに小走りになりながら
一番伝えたかったことは
「ほんとは、寂しいんだよ…
つまんないんだよ…ママが忙しくて」
だったのかもしれない。
自分が何を思い、感じ、望んでいるかを
見失って苦しいから、
言葉にならないこともある。
あの女の子の年齢だったら、なおのことだ。
もしかしたら、気持ちに当てはまる語彙すら
まだ持っていないかもしれない。
走るしかなかったんだよね、きっと。
公園を出ていく親子連れの背中に願う。
どうかどうか
あの女の子が
素直に、自分の望みや気持ちを伝えられる
大人になれますように。
それまでの間
自分の気持ちをとりだすことを手伝ってくれる
大人に恵まれますように。
と。
そして、このnoteを書きながら気づく。
あの女の子のなかに
あの頃の自分自身を見ていたのだと。
■今日のひとこと
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。