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徹底的に「自己分析」

ふと考えついたこと。

有名な性格分析などがあるけれど、客観的に判定してくれた方が何となく正解なのだろうと思っていたし、精度の高い分析であれば信用に足ると思って、これまで疑問に思ったことがあまりなかったなと。

 しかし、よくよく考えてみれば何故信用出来るのだろうか。メディアの垂れ流す嘘やゴミや噂や男女のことなどとそれほど変わらないのではないだろうか。学校教育すら疑わしい昨今において、鵜呑みにするのは宜しくないだろう。

 と、いうことで何を考えついたかと言えば、標題である「自己分析」についてだ。やはり分析は、徹底的に自分でやるべきことではないかと思った。とてもシンプルなことで「なんだそんなことか。」と思って当然なのだけど、よくよく過去を思い返してみると徹底的に自己分析はしていない。

 ここで間違ってはいけないのは、簡単に済ませるのではなく徹底的に分析することだ。何度も言っているからしつこいように思われるだろうが、徹底的に行うことなど過去になかったことを考えれば、この徹底的にが如何に重要であるか分かるだろう。

分析方法

1-1、今の性格を徹底的に書き出す
1-2、自分で反証する(自己討論)
1-3、自己で矛盾を洗い出す
1-4、大まかに性格分析をまとめる

2-1、人に言われる性格などを書き出す(外づら性格)
2-2、1-4と2-1の性格を比べる
2-3、一致した性格は実態、一致しない性格は上辺の外づら
2-4、全ての内面と外面に性格をまとめる

3-1、得意と不得意を書き出す
3-2、食べ物の好き嫌いを書き出す
3-3、その他の好き嫌いを書き出す(スポーツ、異性の好みなど)
3-4、性格に好き嫌いを当てはめてみる

 この徹底的な性格分析が出来れば自分というものを深く理解出来るようになるだろう。そぐわないことに対して無理せず断ることが出来るようになったり、好きなことへ集中して時間を使うようになったり、嫌われるような部分があることも平気になるかもしれない。反対に改善に使うことも出来る。

 何かの分析はするのに自己分析をしないから、他力本願のような依存のような、はたまたただの暇潰しにやってみただけのようになる。

 これは、娯楽ではなく人生に活かすためのものだ。要は内観なのだけど、内観と書くとその瞬間にそれ以上の理解は進まず、脳内の考えは閉じてしまう。だから言葉の選択はとても重要だ。だが、カッコつけた言葉を並べ立てても、横文字混じりに知った被ったようになる。分かりやすくて、そうだ!と閃く感じの言葉が、徹底的に「自己分析」だった。

 最終的には、何に適しているかまで自分で分析結果として把握出来れば、生きやすくなるだろうし発展に繋ぐことが出来るように思う。内観の濃さで人生は変わると思っているからだ。