愛を伝えること
正直に言うと
愛が足りない教師もいる
逆に愛があふれ過ぎている教師もいる
同じ先生なのに何故か
それはその人がどれだけ愛をもらって来たかということに尽きる
別に異性から愛されているかとか、恋人がいるかとかではなく、ただ…
愛されてきたかどうか
とかく、今の子供たちをみてみると
愛され過ぎているか、そうでないかの両極端
その愛され方も正しいかどうかは別問題
愛のかけ方を間違えている人も多い
『子どものために』という名目で結局は自分が果たせなかった夢を押し付けたり、子供に選択肢を与えずに行動を決めつけていることも少なくない
そうやって、子ども自身の選択する力や決定する力を弱めてしまっている。
人は分かれ道に遭遇した時、どちらかを選ぶ基準は、おそらく、幼い時からの小さな積み重ねから培われた選択する力や決める力が備わっていないと、なかなか自分では決められない。
保健室でも、愛情たっぷり子どもたちに接する中で必ず自分の行動は自分で選択させている。
熱が高い子どもや病院の診察が必要な場合は有無を言わさず、親に連絡するけど…
例えば…
熱はない。でもしんどいと訴える子ども。
そんな時は必ず子ども自身に、自分の行動を決めてもらいます。
まず『どうする?』と尋ねます。
低学年になればなるほど、困った顔をして首を傾げて固まります。
そんな時は選択肢を提示します。
例えば…。
①教室へ帰る
②保健室で座っておく
③保健室のベッドで休む
※①は大丈夫
②はカウンセリングが必要?
③は静かに寝たい?寝不足のことも多い。
大抵の子どもがどれかを選択し、行動にうつすことができます。
(体の不調の裏側にある、心の問題を見分ける材料にもなります)
そうすることが子どもに愛を伝えることだと
思っています。
つまりは
人生って自分次第。自分のことばと思考が創っているんだと実感できる。
未来を生きる子どもたちには
こうした「生きる知恵」
を伝えたいと思っています。
それが私なりの愛を伝えることだと思っています。
将来誰かに愛を分け与えられる人になるには…
まずは与えてもらわないと…
深い人間愛と笑顔
それが教師に最低限必要とされるスキル
私自身もそうありたい。
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