ナースとの戦い
医療的ケアを要する重症心身障害児を受け入れる施設としての最重要課題。
それはこの分野における豊富な経験を有し極めて能力の高い看護師をいかに確保できるかどうかということ。さらには、看護師ひとり一人の持つ「看護観」と称される仕事に対する個人的なプライドや価値観がココポルト星(大王)の価値観と整合しているかどうかという点が施設の価値を概ね決めるであろうと考えているからです。
私がこれまで見てきた多くの施設においては看護師の人数確保に苦慮するあまり、とかく軽視されがちなポイントでもあります。かくいう私も今日に至るまでは、多くの苦難と苦労から苦虫を噛み潰したよう表情で過ごした日々の連続が思い出されます。
ココポルトの開所に向けて準備を進めている頃、大きな決断を迫られる最初の転機がありました。ようやく物件も決まり、内装工事に着手したころでした。ココポルトが担うこの地における地域資源としての役割、子どもたちやママたちからの信頼を構築して得られる存在価値や使命について。頻繁に行われていたミーティングを重ねる中で発せられた看護師からの一言。
『なぜ、看護師である私がママたちの対応をしなければならないのか意味が分からない。私の役割は子どもたちの医療的ケアの実施と安全衛生を維持することではないのか』
日頃からどんなに価値観のすり合わせを行っていても、必ず深層にある心の声がふとした時に表出されるものなのです。
その一言を受け、時が止まりました。またその瞬間に、その看護師が神奈川県立こども医療センターでの10年にわたる勤務歴の中で、夜勤ばかりを好み勤務していた理由が明らかになりました。仕事に対する情熱や使命感が「子どもたちだけ」に向いている人なんだと。「ママたちに会わない」彼女の看護観と「ママたちに心を寄せる」私の価値観がまるで合致していないと確信した瞬間でもありました。その日の翌日から、私はお金の工面に奔走を強いられることになります。事業の運転資金は確保していたものの、彼女の保有する株式を最速最短で回収しなければならないからでした。そう、彼女は会社の発起人(取締役)だったのです。やはり、原則に従い経営と出資(所有)は分離しておくべきでした。「取締役看護師」これまでの福祉業界には耳なじみのない重責を担うポジションを確立し他社との差別化を図りたいという、私の「挑戦」志向がこの時ばかりは悪いほうに転じ反省を生んでしまったわけです。
開所の予定日まで残り2週間という時期に。
1年以上に渡る準備期間と膨大な労力が、はかなく消え水泡に帰した。
2020年1月1日の開所予定日を2月に延期し看護師の採用に尽力することに。
もしや運とツキを引き寄せたのでは?と錯覚してしまった出来事が矢継ぎ早に舞い込んできたのも今では笑い種。横浜では名の知れた医療型障害児長期入所や重症心身障害児の短期入所を担う療育センターや大病院に併設された重症心身障害児施設を渡り歩き、小児救急分野の看護経験も豊富でドクターヘリにも同乗していたというベテラン看護師がココポルト星の門をたたいてきたのです。年齢は私よりも上、提示された報酬も想像を超えて高く、ココポルトのような小さな施設で雇用できる人材ではないのは明らか。しかし、開所まで時間がない。看護師の確保がなされない限り開所はできない。うーん。大王として持ちうる情熱と将来に向けたビジョンを語り尽くし口説くことにいたしました。その結果、ココポルトにとって明らかにオーバースペックであるその看護師はなんと入職を承諾してくれたのです。まさに青天の霹靂のような出来事に運とツキを重ね合わせて。
しかし、苦笑いの面白話はここからがはじまり。
ココポルトでは当初、常勤看護師1名に加えて非常勤看護師2名を看護チームの基本ユニットと想定しておりました。採用したそのハイスペック看護師によると、1日の利用定員が5名の小さな施設であれば非常勤の看護師は不要だと言うのです。ん?ホントに?そんなことできるの?他2名分の報酬を自分に支払ってもらえれば休まず働きすべての業務を一人でこなしてみせると。昭和の企業戦士然としたスーパーウーマンがココポルトに現る。
こうして、開所に向けて遅ればせながらのラストスパートが始まった。施設見学の予約受付も開始し、いよいよサービス提供の本稼働に向けて動きはじめたことに安堵していると・・・またアイツがやってくるのです。運とツキに見放されたような例の違和感が。施設で使用する什器備品の選定が進む中で感じたちょっとした違和感の連続。「待てよ、この看護師はここに一体を何を作り上げようとしているんだ?」「この物々しく冷たい雰囲気を放つ選定備品の数々は一体なんなんだ?」「わかった!ここに病院(クリニック)を作ろうとしているんだな!」また話し合いを始めなければなりません。
その看護師の言い分はこうだった。長く病院等で過ごしてきた子どもたちはそういう雰囲気の方が慣れており絶対に落ち着くはずだと。「ここに5台のベッドを並べてください。そうすれば私が一人ですべての医療的ケアを施しますから」この一言を聞いて一つ気づいたことがありました。日々、追われていた見学対応を、利用希望のママや子どもたちと接する私のことをいつも怪訝そうに見つめていたことを。ココポルトが関わっていきたい子どもたち、その看護師がこれまで接してきた子どもたち、つまりお互いが思い描く医療的ケアを要する重症心身障害児の定義が明らかに違っていることが明白になってしまったのでした。
「この前、施設見学に来た子供たちをまさか受け入れるわけじゃないわよね?」
この一言を発端に6時間にも及ぶ話し合い(価値観のすり合わせ)が行われました。医療の進歩などを背景に増えた「動ける医療的ケア児」を受け入れる施設が極度に不足しているここ横浜において、私たちココポルトがその一翼を担うことは必然であり必要不可欠なことであることを伝え続けましたが・・・結果は決別。その看護師は「絵空事に過ぎない話ばかりで吐き気がする」の捨て台詞とともにココポルト星を去って行かれました。アハハハ。
ココポルト星で暮らす現在の看護師たち。
新卒で神奈川県立こども医療センターに入職し7年間を過ごし、その後は保育園(重心児受入れ)でクラスを受け持つという異色の経歴を持ち主。その後も医療的ケア児を専門とした著名なクリニックを経てココポルトへ。
横浜では名の知れた医療型障害児長期入所や重症心身障害児の短期入所を担う療育センターでの中途入職、同期の仲良しコンビ。一方は世田谷区所在の国立成育医療研究センターのNICUでキャリアをスタートさせていたり。
他方はオープンからわずか半年で閉鎖した医療的ケア児を受け入れていた放課後等デイサービス施設の常勤看護師を勤めていたりと、苦い経験もありつつ、経験豊富で志の高い看護師。私がかつて開業時のコンサルティングを行った企業が運営していたその施設、閉鎖する情報をママたちから得るやすぐにヘッドハンティングに奔走したほど優秀な看護師なのです。
私が何よりも重んじ看護師たちに求めていること。それは、子どもたちひとり一人の個性に向き合い接すること、心の扉をノックし続け、学齢に応じた言葉遣いをすること。子どもたちと接する際の一挙一動にママを思い浮かべ心を寄せること。一つ一つのケアを決して「作業」とはせず、心を込めた「仕事」とすること。その仕事の手を決して抜かないこと、時間を要しても手間暇をかけること、どんな面倒も決していとわないこと。仕事の進め方としてのマルチタスクやシングルタスク、この点についてはメリットもデメリットもありますし、向き不向きの個人差もありますので問うことはありません。但し、必ずチームに貢献(ココポルトの付加価値を高める)すること、結果(事実)は受け手(ママたち)に依存するものと心得ること。これらの視点だけは常に念頭に置いてもらっています。
現在、ココポルト星にいる看護師は一同、これらの価値観を共有しながら、子どもたちの日々の医療的ケアにおいてすべてを体現してくれています。このような素晴らしい看護師たちにようやく囲まれ、小さな幸せを感じることができています。やっぱり運とツキは引き寄せられると信じて。
ココポルトのナースとの戦いは絶賛休戦中。