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【ココパレ代表インタビュー vol.1】「最期までその人らしく生きるサポートを」私が訪問看護に出会うまで。

個々の色を尊重しながら、パレットで色を合わせていくように、看護ケアや働き方も選択肢は十人十色。
ココパレは輝く個々の命に寄り添い、利用者さまはもちろん、共に働くスタッフにも安心できる環境をつくっていくことを大切にしています。
「好きな場所で過ごす時間を諦めない」
ココパレ代表の樋口敬子が体験してきたことや想いを、お届けしていきます。

株式会社ココパレ 代表
樋口 敬子

岐阜大学医療技術短期大学部卒業後、市民病院の呼吸器・循環器内科に勤務。その後、がんセンター血液内科、民間病院外科病棟に従事。

緩和ケアを中心とした在宅支援診療所の訪問看護を経験し、尊厳ある自宅での最期の時間に感動。症状緩和の必要も感じ、緩和ケア認定看護師の認定資格を取得。

児童養護施設看護師、小児を中心とした訪問看護通所事業の立ち上げに参画。
2022年1月に株式会社ココパレを設立。同年5月に訪問看護ステーションココパレを開設する。

小児から高齢者、精神疾患、終末期まで、一人一人に寄り添い、家族まるごとケアを目指して、訪問看護を行なっている。

ちょっとの工夫で未来が変わっていく…実習で感動して看護師に


──看護師を目指した経緯を教えてください。

実は看護師になりたいとは思っていませんでした。
寺院に生を受け、私が7歳のときに僧侶の父が布教のために、寺院を出ました。
母から将来困らないようにと、手に職を持つよう言われて育ち、看護師を勧められました。
中学では友人関係で悩んだこともあり、女性が多い看護師は絶対に嫌、と思っていたので、保健師になるつもりで看護の専門学校に入ったのが、看護との出会いです。

保健師になるためにも看護師の資格が必要なので、学校でいろいろ学ぶ中、食事介助の実習がありました。
そこでとても素敵な先生に出会い、感動しちゃったんです!
食事が患者さんにとって重要なものかはわかっているつもりでしたが、想像以上に感じることがありました。
目隠しをした患者さん側と介助側を交代で体験したのですが、患者さん側になったときに、なんだこれは!と衝撃を受けてしまって。
介助者のちょっとした工夫や動作で、食べる意欲が出たり食べたくなくなったりする。一口の大きさや、手の運び方、熱さや冷たさ、においや音も。
介助する側の働きかけによっては、生きるか死ぬかがわかれるくらい重要なことだと思って、看護ってすごい!と興味を持ちました。

学べば学ぶほど、看護が患者さんに与える影響の大きさを実感しました。
ちょっとのことで未来が変わっていく……希望と同時に怖さもあったけれど、おもしろそうだな、と。
看護を極め、ゆくゆくは感動を与えてくれた看護師の教員を目指したい!と思いました。

その人らしく死を迎えるということ…緩和ケア・終末期医療と訪問看護との出会い


──緩和ケアや終末期医療に注力するようになったきっかけはありますか?

1年目に急性期病棟の呼吸器・循環器内科で働いていました。集中治療室もあって、癌の末期の方も入院している忙しい病棟でした。
25年以上前のことなので今とはずいぶん違いますが、緩和ケアという言葉もまだ浸透していない時代。医療用麻薬も、今のようには種類もなく、使用方法も手探りで、確立されていない状況だったと思います。

ある日、担当していた肝臓癌の末期の患者さんに、ご家族が面会に来た時のことを今でも鮮明に憶えています。
病室に入った瞬間に「パパじゃない!」と泣き叫ぶ声がして……駆けつけると、患者さんが弄便(ろうべん)を起こしていました。
肝臓癌の影響や薬剤の影響もあり、意識障害が出てしまって、ご家族が知っている姿ではなかったんですよね。

他にも病棟で病衣を着て亡くなっていく方々を看させていただき、その人の人生や家族、背景にあるものを大事にしながら治療できないのか、もっとその人らしく死ねないものか、って疑問と失望感のようなものが沸々と湧いてきました。

その後、治療と向き合う方々の看護がしたくて、がんセンター血液内科でも働いていました。そこでも貴重な日々を懸命に生きる方々の、厳しい現実を看させていただきました。
治療をがんばっても、家族に会えないまま亡くなってしまう方もいらして、命や終末期のことをさらに考える機会になりましたね。

結婚や出産を機に、転勤やお休みしていた期間もありましたが、夫の転勤で東京に引っ越してきてから、いつか勤務したいと思っていたホスピスを目指し、再び病棟で勤務をしていました。
子育てしながらの病棟勤務は、なかなか大変なものでした。そんな時、夫が在宅ホスピスのチラシを持ってきてくれて、訪問看護で働くつもりはなかったのですが、夫の勧めもあって働いてみたんです。
まだ理解も足りていなかったけれど、実際に現場を知ってびっくりしました。緩和ケアに長けた先生が自宅を訪問し、薬を上手にコントロールして、痛みも苦しみも最小限にしてくれる。
家族やペットと一緒に暮らしながら、好きなものに囲まれて、つらい中にも穏やかに、病気と向き合っている姿がありました。
こうやってその人らしい最期が過ごせるんだ!と感動しました。

──死に対するイメージが変わったのでしょうか?

私はもともと死に対する恐怖はないんです。
母方の実家がお寺で、そこで生まれ育ったというのもあるかもしれません。亡くなった方のお世話をしたり、父があの世に旅立つお手伝いをしていると、仏教の死生観が身近にありました。

病院の中で死と向き合うときに、管理上しかたのないことであっても、“その人らしい死”を実現することは難しいですよね。
本来、動物も人間も死に向かっていくときは穏やかにシャットダウンするシステムが備わっているのです。
痛みなどの苦痛は緩和できる時代になったので、苦痛を緩和して極力自然な状態で旅立てれば、そういった生理的なシステムも働いて、深く眠るように、苦しみや痛みの少ない昏睡状態で、静かに息を引き取ることが多いです。
そのためのサポートをするのが、緩和ケアや終末期医療。看護の可能性に希望が持てたという感じでしょうか。
もちろん緩和ケア=終末期医療ではありません。緩和ケアは癌などの初期治療の段階から、がん以外の難病や慢性期疾患の苦痛を和らげ、さまざまな専門職と連携しながら幅広い人に対応するアプローチです。
患者さんもご家族も、痛みや恐怖に支配されてしまうとつらい日々でしかないですよね。
みんながハッピーでいられるために、医療や看護にできることがたくさんあるとわかって、ココパレ設立につながる一歩になりました。

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