子供が転ばないように子供の前の意思を取り除こうとする親がいるが、私は逆に子供の前に石を置いてきた
「子供が転ばないように子供の前の意思を取り除こうとする親がいるが、私は逆に子供の前に石を置いてきた」この言葉は僕が予備校に通っていた時の
寮長の言葉だ。
6年ほど前のことなのに、この言葉をふと思い出すきっかけがあった。
それはこのツイートだ。
ある母親は彼に相談している。「子供に自由な道を歩いてほしいが、自分の価値観を押し付けていないか不安だ」という。
それにに対して、彼の回答は「親にできることは失敗する機会を奪わないことくらいだ」だった。
これを見たとき寮長のおの言葉を思い出した。
子供の失敗体験は学習につながる。それは自分にも言えることだ。しかし、社会人になると失敗しずらくなる。失敗は会社やクライアントに迷惑をかける場合があるので、
「失敗=よくないこと」である。でも、子供は違う。失敗することで会社に損失が出たりしない。失敗ができる、むしろ失敗が子供にとっての成長になる。
この文脈からいくと、大人にとって失敗は減らすべき対象で、子供にとっては成長の糧として失敗は称賛されるということになる。
そして、大人の目線からとらえると、子供に失敗させまいとする感情が生まれてしまうのは仕方がないのではないか。
私たちは今の価値観で物事を判断しているからそうなってしまう。
さてそうならないよいうにどうするべきなのか。それが重要だ。
私の答えは「子供と大人という枠組みではなく仕事とそれ以外の場で失敗の意味を分ける」ということだ。
分かりやすいので、スポーツを取り上げる。中でも趣味のボルダリングのことを話す。
ボルダリングでは、まず自分がクリアできるかギリギリのコースを選んで、登ってみる。
一回目は90%の確率で失敗する。そして何度も失敗しては考えてまた挑戦してを繰り返して、最終的にはそれをクリアするという流れになっている。
ここで大事なのは失敗と挑戦と成功はセットだということだ。成功をつかむためには挑戦が不可欠だ。そして挑戦をつかむには失敗を悪いことだと思わないことが必要だ。
しかし、毎日仕事で上司に失敗に対してガミガミ言われるとなかなかそう思い込むのは難しくなってくる。その日常になれればなれるほど難しい。
そこで重要なのは仕事以外に自分の失敗時間をつくるということだ。それはスポーツでも、趣味でも、なんでもいい。他人に迷惑がかからなければなんでもいい。
たくさん失敗できるものがいい。そして、それはたくさん挑戦できるものと同義であることを忘れてはいけない。
仕事とだけでなくそれ以外の時間で何かを失敗する。そして二つの場での「失敗」の意味を明確に分ける。
今の自分が失敗の価値を実感していたら子供にそれを避けさせるようにはならないのではないか。
私は、ブログやユーチューブで沢山の失敗をしている。ユーチューブなんて登録者数10人以下だ(笑)。
でも、どうやったら前の動画よりも観る人が喜ぶものになるのかを考えて、試行錯誤を繰り返している。その度、成長を感じている。
これからも失敗は大いに歓迎だ。
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