気になる人を見つけた
私はカウンセラーやってるのに、ほとんど本を読まない
自分の考える力が無くなってしまうような気がするのと
活字を読むとすぐ眠たくなるから
心理カウンセラーの学校に学びに行ったとき
感じたのは
「答え合わせ」の感覚
私は何でだろうな?と考えるのがとても好き
心の感覚の、何でだろうな?は
そこらじゅうに答えが落ちていて
何でだろうな?と思わなければ
答えにも気づかない
疑問に気づけるかどうか??
自分で答えを考えてみるのが
とても重要なのだと思います
答えがでたら自分でやってみる
その私のプロセスを説明しようとすると長くなる
だから手段の名前を知るために本を手にする
名前を知っていれば人に説明するのには
短くすむのです
その考え方、その進め方に名前がついている
投影。裏面交流。離別感。集団無意識。
共通認識のために本を手にする
それらを組み合わせる
まるで美しき数学公式を解くために沢山の数学者の公式を使い
数学に魅せられその美しさを証明するためにさらに公式を生み出した彼等のように途中で自分なりの公式を見つけるかもしれないとワクワクしながら
本を手にとる
答えを導き出すどの偉人も根本は同じことを言っていると思う
(読んで無いから全ては知らんけど)
自分と向き合い、自分で決めることが大切だと。
まぁ結局、本読みたくなく自分で見つけたいだけなのだけれど
(ものの名前や礼儀、マナーやルールに関しては別だよ)
そんな私の味方になってくれそうな人を探したら
ショーペンハウアーの
『読書とは他人にものを教えてもらうことである」
という言葉が目に入った
人物像を調べてみると多読を嫌い嘆き
「思考思索有りき、思想の湧出が途絶えた時試みるべき」
と言っていた
めっちゃ怒ってんじゃんw
自分の思想を持たずに誰かに流されることは楽だろう
そんな大多数に押さえつけられることに我慢ならなかったのかな?
という疑問が湧いたので
この人の本は人物像を知りたいから読んでみたいと思った
ただ本が読みたくない言い訳を綴ろうとしたら
気になる人を見つけてしまったという報告のノート記事になたけれど
まぁ良いや