雲月山の山焼き再開
草原保全を目的とした雲月山の山焼きは、地元住民が主体となり、ボランティア、NPO、消防団など、総勢約250名が参加して実施されている。午前中に防火帯を作り、昼食をとってから午後に山に火を放つ。火は山上から点火して、燃え広がったところで山裾から点火する。点火していくのは地元の住民で、ボランティアは火の監視や消火活動を行う。多くの人が関わって成り立つ作業が始まったのは、3人からだった。
再開のきっかけ
はじめて山焼きの話が出たのは、再開16ヶ月前の2003年12月、町役場の職員2人とビールを飲んでいる時だった。地域の実情をよく知る職員によると、防火帯作りなどには人手が必要だし、バザー準備など観光として山焼きを行うことは負担になるので難しいということだった。ただ、地域の住民は雲月山の草原には愛着を持っていて,基本的には山焼きに賛成という。つまり山焼きのハードルは、観光客の受け入れと、防火帯づくりの人手さえクリアできれば、地元の協力が得られそうだということだ。
「イベント」から「地域の作業」へ
それから約2ヶ月後に,集落の班長さんに山焼き再開に向けての構想を提案してみたところ、あっさりと再開する方向で進めていただける旨の了解が得られた。理由は、山焼きの目的を観光イベントから草原管理にシフトさせたことだ。また、ボランティア50名の参加を見込むことも提案した。「イベントじゃないけぇの」という言葉は、その後の会議などでも再々、地元の人の口から聞かれた。
ムラの情報共有
提案の翌日には、雲月山活性化協議会や、行政区画の総代、観光協会長など、様々な関係団体に山焼き再開の構想が伝えられた。また消防団にも「それとなく」山焼き再開に向けての動きがあることが伝えられていた。小さな村では情報はすぐに伝わる。地域の人たちを中心に行政等との調整が進められて、2004年6月に、山焼きを再開することが正式に決まった。
みんな、思いは同じだった
色々な人と話すうちに、気付いたことがある。それは、地域、観光協会、消防団など、代表をしている人たちの、山焼きに対する姿勢が同じだということだ。山焼きはやった方が良いけれど、自分が言い出すことには躊躇する。だから、誰かが言い出しっぺになれば進むことだったのだろう。この時は、たまたま学芸員が言い出した、というわけだ。
ボランティア募集への不安
9月には、地域の人たちを対象に草原や山焼きの重要性について講演をした。参加した住民からは山焼きを実施することに対して否定的な意見は無かった。ただ、「50名ものボランティアが集まるだろうか?」と疑問視する意見は口々に寄せられた。山焼きへの参加は、地元の人にとっては「苦役」という捉え方もあるが、それに加えて、僕の提案ではボランティアから参加料を徴収することにしていたからだ。