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Bilibiliがどうやって「中国のYouTube」になったか

Bilibili(ビリビリ)という中国発の動画プラットフォームはご存知でしょうか。2020年年初の時点で、時価総額約8000億円、月間ユーザー数約1.3億人の中国最大規模の動画プラットフォームの一つになっています。

2009に発足したBilibiliは、最初、「中国のニコニコ」と言われていました。アニメや漫画コンテンツに特化し、さらに「弾幕機能」も備え、中国の若者を中心に人気が広まりました。しかし、近年、徐々に大衆的な動画プラットフォームになりつつあります。2019年の大晦日に、NHK紅白歌合戦のように生放送の大型音楽番組を開催し、4400万人の視聴者を集めたらしいです。そして、新型コロナウイルスによりコンサートに行けなくなった人のために、オンラインコンサートを開催し、好評を得ました。実は、最近、多くの人がBilibiliについて言及する際に、「中国のニコニコ」ではなく、「中国のYouTube」と呼ぶようになっています。

先日、WeChatのブログサービスの中の「圆首金老汉」というブログで「中国版YouTubeの発展史」という長い文章を読みました。そこで、本物YouTubeの発展史と「中国のYouTube」になろうとするBilibiliも含む中国動画サイトの発展史を比べ、其々の戦略ストーリーや成功要素について語られていました。今回の記事は、私の個人的な見解を加えながら、その文書を紹介したいと思います。

YouTubeの「幸運史」

まず、YouTubeの発展史を見ていきましょう。一言で言うと、「非常に運に恵まれてきた」会社です。2005年2月に動画投稿プラットフォームとして設立され、わずか1年間で600万人のDAU、4000万個の動画という驚異的な数字を達成しました。そして、サービス開始から1年8月後の2006年10月にGoogleに約1600億円で買収されました。まさにどう考えても、順風満帆なスタートでした。

Googleに買収されたおかげで、YouTubeの成長にさらに拍車がかかりました。具体的に、コンテンツ数と閲覧数という二つの面で急成長しました。一つずつ説明します。

まず、コンテンツ数の面です。YouTubeのような動画投稿プラットフォームのコンテンツの大半はいうまでもなく、一般人によって作成されたものです。では、一般人がなぜ時間とエネルギーを使って動画を作るかというと、もちろん「自分が作ったコンテンツを世界中の人々と共有したい」という気持ちがあるでしょう。しかし、それだけでは満足しないはずです。金銭的なインセンティブも必要だと考えられます。そこでYouTubeは2007年にGoogleのAdsenseというコンテンツ連動型広告を導入しました。つまり、動画のスタートの前か途中かに広告を入れ、視聴者がその広告をクリックしたら、動画の製作者が一部の広告収入を得られるという仕組みです。それによって、動画を作る人たちは人気ビデオを作れば作るほど収入が高くなり、最終的に動画作成に専念する人も出てきました。彼らはもちろん、「ユーチューバー」と呼ばれます。今では、日本一収入が高いユーチューバーの「はじめしゃちょー」は年収約1億円で、世界一収入が高いユーチューバーの「Ryan ToysReview」は年収約8億円らしいです。彼らと彼らのチームは、日々努力し、素晴らしいコンテンツを続々と出し続けています。

GoogleのAdsenseにより、YouTubeは魅力的なコンテンツのパイプラインが確保できました。では、次に考えるべきなのは、動画の閲覧数です。Googleの傘下になることによって、ある意味、閲覧数に関する心配がもう要らなくなりました。なぜかというと、当時、インターネットでは最もユーザー行動を左右できたのは、検索エンジンのGoogleだったと見做されています。あるもの、例えば「カレーライス」をGoogleで検索したら、出てくる結果には、必ずいくつかのYouTubeにあるカレーライスのビデオが含まれていました。それで、閲覧数の面で、YouTubeはダントツ世界一の動画プラットフォームのポジションを確保できした。それによって、広告主ももちろん、YouTubeに大量な予算を使ってきました。ちなみに、今では独占禁止法などにより、Googleはあえて検索結果にYouTubeの動画のみならず、他の動画プラットフォームの動画も表示しています。但し、あまりにも差が激しすぎるので、極めて特別な理由がなければ、ユーザーが結局YouTubeの動画をクリックするでしょう。

もう一つのYouTubeの急成長の要因として上げられるのは、ハードウェアの進化です。YouTubeが普及し始めた頃、多くのパソコンメーカーがパソコンにウェブカメラを搭載し始めました。それで動画製作者は、基本一台のパソコンを持てば、動画を作成できるようになりました。私の記憶では、2010年以前の有名ユーチューバーはほぼ皆パソコンの前に座ったまま上半身の動画を撮影しました。もちろん、パソコンのウェブカメラで。その後、iPhoneを始めとするスマホが普及し、誰でもどこでも視聴でき、制作できるようになってきました。YouTubeにとってまさに絶好の追い風になりました。

ここで一旦YouTubeの成功体験をまとめますと、Googleの買収によって、広告収入が確保でき、さらにそれによって充実したコンテンツも確保できました。そして、視聴者もGoogle検索エンジンから絶えずにYouTubeに飛び込んできました。加えて、ハードウェアの進化も絶妙なタイミングでYouTubeの成長を後押ししました。ここまで説明して明瞭に見えてきたのは、YouTubeは本当に様々な場面で運に恵まれていたということです。

中国の老舗動画サイトが「中国のYouTube」になれなかった理由

欧米や日本でいくら人気が集まってもYouTubeは中国で展開できませんでした。情報管理に厳しい中国政府は、当局の検閲(センサーシップ)を受けない動画プラットフォームの展開を許さなかったです。そこで、ビジネスチャンスに生き馬の目を抜くほど敏感な中国インターネット業界の人々は、もちろんYouTubeの成功を羨んで、同じようなサービスを中国で再現しようとしました。

実は、2005年YouTubeがサービス開始してから3ヶ月も経たないうちに、「土豆网」(トゥードウワン)という動画サイトが中国で生まれました。端的にいうと、YouTubeのコピー版でした。実は、そのウェブサイトの当初のスローガンが「皆が自分の生活のディレクター」で、まさにYouTubeのような一般人が作った動画を中心とした投稿型の動画サイトでした。「土豆网」だけではなく、2005年から2010年の間に、中国で似たような動画サイトが雨後の筍のように現れていました。しかし、彼らのいずれも「中国のYouTube」になれませんでした。その理由は一言で言うと、中国にはYouTubeを生む土壌がなかったからです。

2010年以前の中国では、ユーザーが自分で撮影し、編集し、そしてアップするといったオリジナルのコンテンツは多くはなかったです。著作権意識が薄い当時の多くのユーザーの中では、テレビ番組などを録画し、そのまま動画投稿サイトにアップするといったやり方は主流でした。多くの視聴者は、見逃したテレビ番組やそもそも中国のテレビで見られなかった海外の番組を見るために、動画サイトを使用しました。私も、確かに当時、主に先述の「土豆网」で大好きな日本アニメの「名探偵コナン」をフォローしました。

コスト面においても、当時の状態はかなり厳しかったです。今のようにブロードバンドなどが発達していなかったので、動画サイトは皆大きな負担を抱えていました。ある業界の人の話によれば、当時の動画サイトは皆揃って赤字運営をしていて、毎年数十億円ぐらいの資金を調達しないと、維持できない苦境にありました。2008年のリーマンショックが訪れた時に、投資家からの資金が枯渇し、それによって潰れた動画サイトもいくつありました。

ユーザーが高品質の動画を作らないことと、膨大なコストを抱えることによって、「土豆网」のような中国の動画サイトの老舗は、YouTubeのような「一般人によるコンテンツのプラットフォーム」という本来の戦略を断念しました。言い換えると、「中国のYouTube」になろうという目標を諦めました。その代わりに、動画制作会社と契約し、有料でテレビ番組などを提供することに舵を切りました。つまり、ある意味、YouTubeのビジネスモデルから、Netflixのビジネスモデルに切り替わりました。ちなみに、少し皮肉に聞こえますが、その戦略の変化により、元々海賊版動画の天国であった動画サイトは、自社の利益のため、一気に著作店の主張者に変身しました。彼らは著作店の重要性を訴え、法律的な手段やロビー活動を通じて、中国の動画著者権の保護に大きく貢献してきました。

新人のBilibiliが「中国のYouTube」になった理由

Bilibiliの生まれはみすぼらしかったとも言えるでしょう。2009年に当時大学二年生で、初音ミクが大好きなオタクの徐逸(シュー イー)さんは「Mikufans」というファンサイトを立ち上げました。そのあと、Bilibiliにサイト名を変更し、コンテンツの内容も、初音ミクのファンサイトから、中国の若者オタク向けてのアニメやアニメの二次創作物の動画に拡大しました。特徴面で見ると、一つは、ニコニコ動画のような弾幕機能でした。「土豆网」のような当時の大手動画サイトは、オタク向けのコンテンツのマーケットについてよく理解もできなくて、興味もなかったので、Bilibiliを競争相手だと認識さえしませんでした。

スタートが華やかではなかったものの、Bilibiliは中国人口の拡大の恩恵を受けました。どういうことかというと、Bilibiliがサービスを開始した2009年前後の大学生は1987年から1992年に生まれた人たちでした。その1987年から1992年はまさに中国の出生率が最も高い時期の一つだったらしいです。彼らの多くは大学に入学した時、人生初めてのパソコンを入手しました。もちろん、パソコンで最もよく見るコンテンツの一つは、Bilibiliが提供するアニメ系のコンテンツでした。Bilibiliはそれのおかげで、コアユーザーを獲得でき、自分の領域でゆっくりですが、確実にと伸びいきました。

しかし、もしずっとアニメ領域に留まったら、いつか他の動画プラットフォームのように、Netflixのビジネスモデル、つまり専門制作会社が作った動画の有料配信プラットフォームになりかねませんでした。Bilibiliはどうやって「中国のYouTube」、つまり一般人が作成したコンテンツをメインにしたプラットフォームになったのでしょうか。その答えは、Bilibiliが戦略的に重点をアニメなどから、「ゲーム」や「ライフスタイル」など若者が好きな他の領域に切り替えたからです。それで、Bilibiliのアニメに対する依存度が減りました。アニメのコンテンツは主に専門制作会社が作ったもので、一般人にアニメを作るのは難しいです。なので、アニメに依存したら、いつか動画制作会社と契約する運命になるでしょう。それと違って、「ゲーム」や「ライフスタイル」のコンテンツは、基本「個人」もしくは小さなチームという単位で作られたものです。実は、2016年の時点で、カテゴリー別でBilibiliの動画で見ると、一位がゲーム、二位がライフスタイルでした。最初の根幹だったアニメのコンテンツが三位に落ちました。

そのカテゴリーの変変によって、Bilibiliは中国最大のユーザー投稿型の動画プラットフォームになり、「中国のYouTube」になりました。もちろん、Bilibiliにまだ「どうすればユーザーに品質が高い動画を作るモティベーションを与えるか」という課題が残っています。YouTubeの場合、先述の通り、Googleからの広告収入を動画投稿者とシェアすることで、モティベーションを与えました。しかし、それでも、YouTubeは10年間の赤字が続きました。Bilibiliの株主の中、テンセントのような中国屈指のインターネット企業が連なりますが、独立している会社なので、YouTubeがGoogleからもらったような支援は期待できないでしょう。おまけに、BilibiliのCEOは数年前に、「動画の前にも、途中にも、広告を入れない」との宣言をしました。それで、動画製作者とシェアできる収入源に大きな制限がかかりました。

最後に

今回の記事は以上です。今回は、「中国のYouTube」というテーマに中心に話しました。最初にYouTubeの発展史を紹介しました。それから、2005ぐらいに発足した「中国のYouTube」になろうとした老舗の動画プラットフォームを取り上げました。それらの会社は様々な理由で、YouTubeのユーザー投稿型を諦め、Netflixのような専門の動画制作会社の動画を閲覧するためのビジネスモデルに切り替わりました。最後に、Bilibiliの生い立ちに触れました。特に重点を置いたのは、Bilibiliがユーザー投稿型の維持に成功し、今最も「中国のYouTube」的会社になっています。


参照した記事:https://mp.weixin.qq.com/s/2kfofAuFoOhauUSuDDUWGA

写真の出典:https://www.techinasia.com/bilibili-crossroads-planned-revamp-increase-users

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