日光の「人」〜愛に生きた侠客〜
日光の歴史には、いろんな「人」が登場します。
今回は、コーヒーにもキッチンカーにも関係ありませんが、こんな日光人のお話を。
日光圓蔵(にっこうのえんぞう)
知り合いから「読んでみたら」とお借りした本、『破戒僧 日光圓蔵』。
日光圓蔵(にっこうのえんぞう)、その名は知っていましたが、人となりは知りませんでした。
僧から修験者に
江戸時代後期、日光山の僧であった圓蔵(晃円)は、不邪淫戒を破り破門されながら、愛に生きた波乱に満ちた人生を送りました。
破門後、山岳修験で各地を巡り、やがて江戸で剣術と四書五経を修し黒船来航の時代を憂いたそうです。
国定忠治の片腕
その一方、やくざ修行をし、以前、山岳修験の最中に出会った国定忠治の片腕として、活躍しました。
いわば「インテリやくざ」ですね。
シーボルトから医学を学ぶ
紆余曲折を経て、忠治は処刑され、その後、圓蔵は長崎でシーボルトに医学を学び、晩年は、今市(現・日光)で栃木県初の歯科医として、地元に尽くしたとか。
そして、その晩年
亡くなる数日前の病の床で(諸説あり)、昔、忠治と句を詠みあったことを思い出しながら詠んだという句。
磨崖仏
対(むか)いし折に
蝉しぐれ
いろんな人生があるんだなぁ・・・あらためて思いました。
近いうちに、今市の回向庵にあるお墓にお参りに行ってこようと思います。
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