![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132674039/rectangle_large_type_2_d2578e6e2e930304acf1f78e2612633a.jpg?width=1200)
日光のルーツを巡る旅(5)
前回は、なぜ僧侶が神社を?というお話でした。
では、その続き。
日光の神仏習合
わかりやすく言うと、↓の図の通りです。
日光を象徴する山々、男体山・女峰山・太郎山。
この三山は、父・母・子と家族にも例えられます。
そして、それぞれの山に、二荒山神社(新宮・本宮・別宮)の神様が祀られ、そのそれぞれの本地仏が輪王寺の三仏堂に祀られているのです。
例えば、男体山には、二荒山神社新宮の大己貴命が祀られ、その本地仏・千手観音は三仏堂に祀られています。
こんな風に、自然と神様と仏様を一体のものとして信じていたのですね。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132674181/picture_pc_3fc61766722ee54c632d2866b20e692f.png?width=1200)
実は東照宮も
約800年後に建立された東照宮にもこの考えは引き継がれています。
ご存知の通り、東照宮は家康公を「神」として祀った神社ですが、家康公の「お墓」もあります。
また、境内の入り口には、神道の象徴である「鳥居」の隣りに、仏教の象徴である「五重塔」がありますよね。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/132674268/picture_pc_f894cc077d92ae036b226b6a5d26b45c.png?width=1200)
(世界遺産ライトアップ)
もっと身近にも
現代の日常においても、たとえば、赤ちゃんが生まれた時には、神社にお詣りしますが、亡くなった時はお寺でお葬式をするのが常かと思います。
これも、広い意味では、神仏習合の形なのかと。
日本人に染みついているのですね。
(つづく)