日光のルーツを巡る旅(3)
前回は、勝道上人が輪王寺のルーツとなるお寺を建立したところまでのお話でした。
では、その続き。
男体山を極める
その後、勝道は、山の霊の力を身につけようと、男体山を目指し、途中、滝(華厳の滝)や湖(中禅寺湖)を発見しました。
今や一大観光スポットですね。
しかし、原始林に阻まれ登頂は2度失敗。782年、3度目のチャレンジでついに男体山頂を極めたのです。
48歳の時でした。
日光の名の由来
勝道は、この山を、観世音菩薩が降臨されるという山、補陀落山(ふだらくさん)に因み二荒山(ふたらさん)と名付けました。
そして、「二荒(ふたら)」を音読みして「にこう」→「日光」、これが「日光」の名の由来と伝えられています。
中禅寺建立
やがて、50歳の時に中禅寺湖畔の男体山を遥拝する地に、神宮寺として「中禅寺」を建立し、湖上で感得した千手観音の姿を自ら桂の立木に彫った十一面千手観世音菩薩を本尊として祀りました。
このため、別名「立木観音(たちきかんのん)」と呼ばれています。
当初は、湖の北岸にありましたが、明治時代の土石流による大津波で流されました。
が、この時も観音様は無事だったそうです。
現在は東岸に佇んでいます。
(つづく)