当事者意識:当事者意識とは、問題やテーマに対して、「自分が解決する/自分が行動する」という意識のこと
大きな時代の変化の時
ダイバーシティ
グローバリゼーション
これらの言葉を枚挙のいとまがないほど、
日常のそこここで耳にするようになって久しい。
だけれど、それを【ジブンゴト】として受け止め、とらえている人は
果たしてどれくらいいるのだろうか?
情報溢れる現代、気になるワードは検索エンジンに入力すれば、
秒でバラエティに富んだこたえを与えてくれるし、ちょっと調べて
咀嚼すれば、まるでじぶんの言葉のように語ることさえ容易い。
だけど、果たして本当にそれが【ジブンゴト】になっている?
私の生まれた国、日本の根幹をなす思想は一体何で、
それはどこから生まれたものなのか?
極めて基本的な、だけど、意識しなければそんなことを考える暇も
余裕もなく、日々はすぎ、この命を終えることもできてしまう。
それほどまでに平和で恵まれた国、日本に日本人として生を受けた私に、
湧いたその問いの答えを求め学びを深めていく中、昨年神道について学ぶ
機会を得た。
学び始めた当初は、「神道とはこういうもの」というのが掴めたら
いいなくらいの動機だったのだけど、そんな私の期待を遥かに超え、
その学びは、私の中に大きなシフトをもたらした。
学びを深めるうち、何より私を揺さぶったのは、所謂高等教育まで受けた
はずのワタシが、あまりに自国のことを知らないという事実だった。
その無知さに何度も愕然とし、打ちのめされた。
(この年になるまで、どうしてこんな大事なことを知らずに、私は
生きてこれたんだろう…)
あまりの無知っぷりに愕然としつつも回を重ねるうち、
これまでにも何度も耳にした、そしてもうずっと前から知っていた
話、例えば、
「先の第二次世界大戦で多くの尊い命を犠牲にして、それでも
そこから繋がれてきた私たちの命」
「今の平和は日本があるのは、身を賭してこの国のために
戦ったご先祖様のおかげ」
という言葉? 流れ? の中に、このジブンが含まれた
感覚になった瞬間があった。
そしてそうなってみて初めて、これまでの私は、その歴史的事実
を”知識”としては知っていたけれど、全くジブンゴトにはなって
いなかったのだということに気づいたのだった。
そして、それは私だけがそうだったのではなく、
戦後教育には、日本人の根幹、スピリットという最も大切な部分を伝える
という部分がことごとく削除されたため。
思えば、今までにも、うっすらそんな話聞いたことあったなと
思い出し、その時の自分は
(でも、昔のことだし、日本は豊かで平和になったし🎵)
と華麗にスルーし、かつてのバブル時代を謳歌した自分を振り返り、
なんてばかだったんだろうというとほほな気持ち、
気づいちゃったよというちょっと腰のひけた気持ち、
気づいたからにはスルーできないよなという気持ち、
たくさんの気持ちが湧き上がった。
もうスルーできない。
これこそが当事者意識というものか?
とにかく【ジブンゴト】になったのだ。
ものすごい責任を背負ってしまったような重責感と
ここにたどり着けた安堵とよろこびを感じている。
あなたは、あなたに起こる全てを、【ジブンゴト】と
捉えていますか?