コロナ禍を振り返る-陰と陽そして中庸
先日、コロナ禍の間に価値観が変化したと言うことを(あまりにも)簡単な記事にした。
自分と似たような考えの人を探していたら、ネット上で面白い記事と出会った。
『中庸』について語ったブログ。
実は私も最近この『中庸』と言う概念について考える機会がたくさんあった。流行ってるのかな?
『陰』と『陽』、どちらに偏るでもなく、バランスの取れた良い状態を指す言葉であるらしいが、
説明より簡単ではなく奥深く、実際にこれを追いかけると、シンプルながらに難しい概念と感じている。
ヨガや量子力学、中医学、仏教、風水、占星術…などに携わっている方達が各々の立場で語って下さっていて、表現の仕方に違いはあれ、つまるところそれら全てが繋がっているであろうことは私にも感じ取れる。
もちろん、奥深く極められてはいないが、『中庸』を意識することは、心身の健康や生きて行く上で、とても大切なことだと感じている。
私がコロナ禍の間にゆっくり自分と向き合う時間に恵まれ、自分にとって本当に大切なことって何だろうと考えていくうちに価値観は徐々に整っていった。
そしてこの2〜3年で、やはりこういった私のようなことが身に起きた人がたくさんいたようなのだ。
私個人の話ではなく、世の中の話であって、時代の流れの一側面であり、事象なのかもわからない。
出会った記事は、その世の中の変化と言う側面を『陰』と『陽』で説明してくれていた。とても興味深かった、そして共感した。
コロナ前の人々の精神状態は『陽』が強すぎて、例えば朝の出勤時間の電車が少し遅れるだけで怒りが沸くようなエネルギーに満ち溢れていたと。まさに。。
時短本の書籍がたくさん本屋に並んでいたり、スピード重視、効率重視の世の中が記憶にまだ新しい。
コロナ禍をきっかけに、人々は一旦立ち止まることになり、家にいる時間も増え、自分を振り返ったり、ゆっくり考えたり、必然的に『陰』を取り入れて行ったのだろう。
社会的『陽』エネルギーが、もう限界に達していたのかな?
皆、疲れてたよね。。一部の人たちは耐えきれず、コロナ以前に既に『陰』に引きこもり、自分はダメな人間なんだと罪悪感に苛まれていたかもわからない。
コロナ禍はある意味、必然だったのか。神のイタズラだったのか。囁かれる地の時代最後の荒療治だったのか。グラスの中の水が溢れバランスを取らざるを得ない出来事として起こったのだろうか?
はっきり答えを求めてる訳ではなくじっと眺めている。
コロナが自然発生であってもなくても、発生がたまたまの偶然であってもなくても、私には世の中の陰陽のバランスが調和されたであろうことは必然に思えた。
今、世の中を見渡すとコロナ禍以前とは明らかに異なるエネルギーが流れている。。私だけでない、多くの方がきっと肌で感じているだろう。
そのような視点から、今の今、コロナ禍を経て心地よい自分の状態を客観視すると、少し『陰』に偏りすぎてるのかな〜笑?!
よってnoteタイムも楽しいのですが♪
楽しみつつ『中庸』を意識して行こう笑!
明日は友達と茶でもしばこうか☕️💓
🤞参考に↓
一般的に人の肉体は『陰』に偏りがちで、精神は『陽』に偏りがちになるそうだ。
※身体が陰に偏ると、運動不足で身体が凝り固まったり、添加物などで毒素が溜まって行く。
※精神が陽に偏りすぎると、社会にご機嫌取り過ぎてしんどくなるそうですよ〜、、、
↓↓【出会ったブログ】↓↓↓
面白かった!!ありがとうございます♪
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