『哲学』の散歩道 SEASON3 「こころ観のこころみ」 Vol.8(3758文字)
『哲学』の散歩道 SEASON3「こころ観のこころみ」では、私たちが理解している主観/客観、主体/客体の関係性を多角的に見立てる作業を続けてきた。さらに、主観/客観の基となる、主格/客格という概念にも触れた。
今回は、この主格/客格についてさらに性格を踏まえた論証を深めていく。
1)「格」の視点
近年、多角的メタ解析により性格という目に見えない心の変化をある程度見える化できるようになった。
特に、ポジティブ心理学が提唱する、キャラクターストレングス(CS;強み)やビッグ5(B5;性格傾向)の評価方法については頻繁に取り上げられており、マガジン『響』ニュートンとゲーテ「性格」と 「強み」でも詳細を説明している。
そもそも、主観/客観と主体/客体に性格はどのように関わるのだろうか。
文字通り「性格」は「性」と「格」からなる熟語だ。
「性」は、「心」を「生かす」こと、つまり生き活きと揺り動く「心」の様相を表わし、「安定性」や「可能性」など「性」は不確定なことがらや表現に幅をもたらす作用がある。
一方「格」は、人格、品格、体格、霊格、資格なと、その「水準」や「レベル」を表す。あるものと比較して「格」が違う、などと使う。
では、「性」の表現、「可能性」と「可能」の違いを見てみよう。
確定の「可能」は結果や事実の面である「理の面」(青い面)に反映される。不確定の「可能性」は価値や情動の面である「感の面」(赤い面)に反映する。そして、経過や|過程《プロセス》を示す「知の面」(緑の面)には、少し表現に違和感はあるが「可能化」として反映される。
つまり「性」は、基本的に「感の面」を基本に配置される。
今回は、ここからもう少し図解を用いて詳細を解説してみよう。
上図は立体モデルを単純にxyz軸を配置したものだ。
中央0点から手前xyzがプラスの正軸側、奥の-x、-y、-zをマイナスの負軸側にしてある。
基本的に正軸側を担う面、つまりxy、xz、zy側面で囲まれた部分が「身」を保つ「場」である。つまり三つの正軸側面は身の回りのことがらが反映されている。
これ以外、つまりxyz軸に一つでも負があると、この見え方(正軸側投象図形:正方形の角から反対側の角を見てできる図形)では「身」以外の「場」となる。
① 身の周囲「見覚えのある風景」
「身」に直接触れる「場」は「精」「体」「社」の三つであることが分かる。
一方、触れないのは「神」「会」「心」の三つ。
文字通り「身」と「体」(肉体)と「精」(精神)は切っても切れない関係にあることが分かる。
そして「社」とは、その時代、あるいはその「身」自身の環境における文化であり、集団組織と関係している。最小単位は「家族」としてもよい。つまり身近な身内関係である。
一方、直接触れていない「心」「神」「会」は、自分や個人では簡単にかえられない領域と考えてよい。
「心」は自分(私人性)領域ではあるが、集団の領域にも属しており、他人からの助言などで左右され、心境が変化したり、他人からの言葉で傷ついたり、集団の中で馴染めなかったする。つまり、集団領域は個々人とはまったく異なる動きをする極めて流動性の高い「場」なのだ。じつは、その流動性を生み出しているのが、底を支える「感の面」、「格」の部分なのである。この理屈については、また後ほど触れよう。
「神」はどうであろうか。この「場」は「身」の背後に隠れている「理」に影響される。この「理」も、この図には見えていないが「身」と直接触れない領域であり、背後の「理」を知ることが「神対応」への第一歩となる。しかしほとんどはご覧のように見えない、あるいは見えにくい存在であるため、その存在自体を自覚していないことが多く、この「場」自体を把握するのも至難の業である。
「会」は、明白なシステム、確実性が担保される「場」である。そこには「定義、規則」つまり、「会則」がある。「社会」の「会」は、公に開かれた(有形)文化の「場」でもある。
② 三大欲求と仏教のお勤め
さらに「身」に直接触れる、触れないの違いは、三大欲求と仏教の三大お勤めにも関係している。
上図はそれらの関連図である。
以前、三大欲求に「食欲」と「睡眠」はあるが、「性欲」はないという話をした。人間の最大の欲求は「呼吸」だ。この欲求を「こころの立体モデル©」に配置している。これは東洋医学の「流注」を参考にした。
食欲は「心・小腸経」、呼吸は「肺・大腸経」、睡眠は「心包・三焦経」である。消化吸収に小腸、呼吸は肺、睡眠は頭と関連する心包経にあたる。
図4に示すように、「食事」「呼吸」「睡眠」は「身」の側面に沿うように中央に向かう。これらは、決して他人に代わってもらうことができない項目である。「代わりに、食べといて、呼吸しといて、寝といて」はできない。全て「我が身」でせねばならない。
図中の軸が太く描かれているのは、この三軸の中心に合わさるところに「自我」の「己」が形造られることを意図している。この軸の集合が「己」を生み出す。細かった樹木が太くなっていくようなイメージでもよい。(しかし、この表現は、あくまでもイメージで、立体モデルでは太さ自体意図はない。「己」の構図については、次回解説していく。)
一方、「作務」「禅定」「公案」は、自らが主体となって行う「行」であるが、それは他人のため、あるいは他人と一緒に行うものでもある。このうち「禅定」は、自らの修行という意味で他人に代わりはできないが、 「社」のところにあるように、「集団心理」や「集合意識」にも関連していることは間違いない。
組織の意識は、結局のところ一人ひとりの意識の集合によって変化する。またその部分は「肚を据える」、「腹を割って話す」というように、「胃・脾」の消化器系に関与し、集団のコミュニケーションと集合意識の源泉に位置している。
2)「性」と「格」の位置
基本的に「性」は、『感の面』の「価値」や「情動」を産生するチカラがあり、一方「格」は、『感の面』の「水準」や「レベル」を表している。その中で、「身」の位置のみが「主格」だ。それぞれの軸が正ⅹyzに囲まれた領域が「身」の「場」である。
一方、xyzの軸が負 の-x、-y、-zになる場合は 「客格」の位置を示している。
この数学的な正、負の意味をあえて表現するなら、正 は、「自分事」、負は「他人事 」になる。
「身」を囲んでいる三つの側面を、xyzの軸からみた平面図 でもう一度確認しておこう。
x軸から見た平面は『知の面』で、「身」を為す側面は「尺度」であった。
y軸から見た平面は『感の面』で、「身」を為す側面は「活力」であった。
z軸から見た平面は『理の面』で、「身」を為す側面は「身体」であった。
最終的に「身」にまつわる、三つの側面は、以下のような見立てになるだろう。
これら「尺度」「身体」「活力」が「身」を形成する三つの側面ととなる。
今までの主観/客観、主体/客体を解説するにあたり、y軸から見た『感の面』を利用して解説してきた。この利点はエネルギーの動きや精神力動などが見えやすいからであった。
ただ、個々人と集団で「場」が異なり、層構造であることに留意しなければならない。
まず個々人の身近な課題。
そして、集団の身内の課題である。
性格がどのように形成されるのか。遺伝、教育や経済的な背景などの生育環境、両親との関係、その他さまざまな影響を受けることが明らかになっている。
「主格」は、「身」一つ。
「客格」は、それを支える周囲の7つの「場」を持つ。
この「客格」の7つが「主格」の「身」に関与していくことをもう一度確認しておこう。
さて、次回は、いよいよ「己」が登場する。さまざまな配置を考えてきたが、「己」を立体モデルに登場させるのは初めてだろう。
これは、初期のブログから一貫したイメージであった、シーズ・オブ・ライフからフラワー・オブ・ライフへの展開で出現する。満を持してご紹介していく。お楽しみに。