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名古屋は私のルーツ


本日より
BeautyJapan2ndインスペクションに
参加すべく
岐阜に向かっております✨️
岐阜は人生2度目!!
(看護研究の全国大会だったような…)
その途中で名古屋に立ち寄り
仲間と待ち合わせしております♡♡

名古屋で待ち合わせなんて
オシャレでしょ🎀👠✨

名古屋は人生何度目か…

数え切れないくらい来ております😍

けど、それは幼少期の話
ここ名古屋には
私のルーツと言っても良いほどの
思い出があるのです。

その思い出は
良いものも悪いもの…

では
私の昔話にお付き合い下さいね📔🤍


私には3つ下の弟と7つ下の妹がいます。
(後にもう1人弟ができますが今回はその前の話)

7つ下の妹が産まれた時
父と母は私達にすぐ会わせてくれませんでした

そして会う前に
私達を呼んで
写真を見せ話しました。

『可愛い妹が産まれたよ。
だけど、みんなとはちょっと違うお顔で産まれてきたんだ。とても元気で可愛いんだけど、初めて会う時にびっくりしないように話すね。
そして、この子はこれから沢山入院したり手術を受けたりしなきゃいけないんだ。
みんなで協力して頑張っていこうね。』

当時小学1年生の私は
あまり理解できていなかったと思う。

私の妹は
口唇口蓋裂という病気でした。
これは母親のお腹の中で
上手くお顔の1部が形成できず産まれてきてしまうもの。
私の妹は
鼻の形、人中、上顎など広範囲に
そして完全に穴が空いているような状態でした。

それでも
妹と初めて会った時に
可愛いとしか思わなかった事は
今でも覚えています☺️


約30年前の当時
山形には産まれてすぐ手術ができる施設はなく
半年程待たなければなりませんでした。

上手く母乳も哺乳瓶も吸えない妹は
シリンジや鼻のくだで栄養を摂るしかありません。

それを半年間続けるのか…

そんな時
愛知の藤田保健衛生大学病院で
生後すぐに手術を行っている事を知りました
それはおばさんが
そこの卒業生である繋がりからでした

そこから
父と母は決断します

名古屋に行こう

産院を退院するやいなや
父母妹が名古屋へ
私と弟はしばらく祖父母の家に
お世話になりました。

そこからは
数え切れないほど
何度も何度も妹は名古屋へ向かいました。

長期で入院する時は
母が付き添い
父と私達はお留守番
その間長い休みがあれば
父の運転で私達も名古屋へ
何度も行きました。

だから名古屋には数え切れないほど
行ってるんです☺️

長くなったので
次回に続きます😶‍🌫️

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