#etc タイミングってあるんだね
お盆で帰省してどったばたの実家ごとが終了。
なかなか記事書く時間とれなかったので、今日もショートを。
インスタで出会った神社さん
わたしの地元は岡山県、の、とあるのどかな某所。
ありがたいことにJRの駅からリーチしやすい、ほどよく田舎でほどよく都会な場所だったりする。
決して不便ではないけれど、仕事の都合で実家を出てから20年くらい?
普段家を空けているからと、長期休暇がとれる際に自分でやっておこうと決めていることがある。
それが、墓参りと、墓掃除。
母方父方合わせて2ヶ所10基ほどある場所を、自分ができるかぎりで構わないからキレイにしておきたいなと感じている。わたしえらい。
で、今年の帰省予定を組んだ際、この墓参り墓掃除をぎゅっと濃縮させ、約1日は外出できる時間を捻出した。そこで、普段大阪にいるときには参拝できない、中四国の神社さんをめぐろうと思ってたんだよね。
行きたいなと思っていたのは、インスタで見つけた「白雲大社」さん。笠岡市にある、こぢんまりとした神社さんだけど、とにかくインスタの魅せ方がすばらしくて。
そこへひもづけて、福山にある吉備津神社にもお参りする予定だった。ふんわりと、一宮の神社さんにはごあいさつしようというのがあって。
実家の車が使えて、自分が元気に運転できるならば……という条件つきだけども、この「プランA」遠征が、夏季休暇における最大の外出として予定されていたんだよね。
番狂わせは起こるべくして起こる
そのかわり、前日の労働は厳しさを増すものだった。
母方の墓は山の上の共同墓地に存在している。車で1時間かけて行く場所で、距離はあれど、自分の中ではこまめに手入れをしていたつもりが。
今夏目にした景色は、過去最凶にのびきった草むらへ埋もれたご先祖さまたち。酷暑もさることながら、雑草の生育が素晴らしすぎた。この壁を打ち破り、余計な草を抜いて抜いて抜いて抜いて土地をならしてからでないと、とてもじゃないけれど墓参りなんてできない。
かつ、この日の岡山も熱中症警戒アラート発令中。日が高くなっていく中、日差しと暑さと湿気で体力の奪われかたが半端ない。20分ほど作業したのち、一度車へ戻ってクーラーかけて休憩しつつ、もう一度作業を再開するという念の入れようでも、体力的にはかなりきつかった。
この時点で、身体が疲労でちょっとコントロールしづらくなっていて。
夜も夜できつかった。自分が寝泊まりする部屋にクーラーがなく(昔の家だからね)、隣の部屋のクーラーから出る冷風を、サーキュレーターで巡回させながらの就寝。
普段と勝手の違う温度・湿度やし、疲れすぎた身体がまだハイテンションのまま起きてようとするしのダブルパンチ。とてもじゃないけれど熟睡は程遠く。
翌日、朝起きておもった。「あ、車の運転、無理かも」。
安全には代えられないので、ひとまず電車移動を中心に置き、「倉敷美観地区のキャラクターショップ→白雲大社」という、導線的に無理のない「プランB」を急遽こしらえたんだよね。
結果オーライ、すべてはタイミング
翌日。美観地区での買い物を楽しんだあと、満を持して白雲大社へ。
インスタで写真を眺めてはいたけれども、山肌に神社さんがあることはノーリサーチ。当初想定していたよりも多く、山歩き的なことをしたんじゃないかなとおもってる。
わたしが写真でよく見ていたのは、少し山をのぼったところにある本殿。本殿とは別に、奥宮と書かれている鳥居があって、そこから摂社末社を回ろうとするとややもして、15分くらいの山道を散策することとなる。
傾斜からしてみたら大したことはないんだけど、この日も熱中症警戒アラート発令中の猛暑日。立ち止まるやいなや、Tシャツは色が変わらんばかりの滝汗。マスクなんてしてらんないし、顔のメイクは流れる汗でほとんどはげてしまっていたとおもう。
ただ、しんどいなあというのは、あくまで「暑くて汗が出る」ことのみだった。山の空気はすがすがしく、境内もきちんと手入れされていて清浄この上ない場所。奥宮までの道のり、あちこちにセミが飛び交っているのもなんだかほほえましい。
体力配分しながら、無理なく参拝しなさいねっていう神さまの言葉を受け取るがごとく、貸し切りのような山道を一人で楽しませてもらった気がする。
さらにここからがすごかった。
境内、参拝される方がちょうど途切れたところで出向いたからか、社務所の方・さらには休憩所の方と、ふんわりお話させていただく時間にも恵まれて。貴重で楽しいお話をたくさん聞かせてもらった気がしてる。
基本ぼっち参拝に慣れていて、誰かとお話すること自体が珍しい神さまごと。さらに、神職のおうちの方からいろんなお言葉をいただいたのは、わたしの中でかなり引き出しを持たせてもらったような気がしている。感謝することこの上ない。
これ、今おもってみると、前の日の労働で睡眠が乱れることすら予定調和で、ここまで導いてもらったんだなあという気持ちでしかなかったよね。
すべては必要で必然なタイミング。
そんなことを感じさせてもらった、佳きお参りでしたん。