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#07 歓迎のしるし


神さまごととシンボル

神社さんへおまいりしているとき、「ああ、今日は神さまに歓迎してもらっているのかも」とおもうことがしばしばある。

いまはほしい情報がすぐ手に入れられる時代だから、「神社」「歓迎」「サイン」とかで検索すると、まつわる記事もたくさん出てくるんだろうね。
そうじゃなくて、ほんとうにシンプルに「歓迎してくださっている」と見極めるための方法を、わたしは採用している。

そのシンボルに出会ったわたしが「気分よい」か。「すがすがしい」か。「いい気持ち」であるか。

今回はこのことについて、すこしおはなしできればいいな。

非日常がもたらす奇跡

ご家系が神職だとか、地域の神社さんにものすごくなじみが深いかという場合をのぞき。ほとんどの方は「神社参拝」という行動が、ある種の非日常なんじゃないかなと感じている。

仕事をして、あるいは学校へ行って、あるいは家事をして。わたしたちの日々は一定のルーチンを描きながら、つつがなく進んでいく。

そんな中で、ふとお願いごとを任せたくなったり。お祓いが必要となったり。皆、何かしらの用事を抱えて、神社さんを訪れる。
つまりは、ルーチンからはずれた行動をとっている。神気あふれる場所へ訪れるという行動ね。

この非日常へ飛び込んだとき、普段は目にしない動物を見たりするかもしれない。あるいは、急な雨や突風に見舞われ、不思議な感覚を覚えるかもしれない。たくさんの人が参拝していたはずなのに、いつのまにか境内へひとりぼっちの状態が起きているかもしれない。

どんなきっかけでもいい。ふとした瞬間の「おや?」という違和感をキャッチできたなら、ぜひその違和感を味わってもらいたい。
そうして、その違和感が心地いいものだと感じられたならば、「神さまに歓迎してもらっている」と受け止めていいんじゃないかなとおもっている。

ネットの波に浮かんでいる、シンボリックなものを探さなくてもいい。答えはきっとあなたが持っている。

魂が震える経験

2023年はわたしにとって休息の年だった。1年のほとんどを体調不良でおやすみしていたんだけど、せっかくの「おとなの夏休み」だからと、普段実現できない遠征をいくつか重ねさせてもらった(体調のいいタイミングでね)。

北は北海道から、南は宮崎県の高千穂まで。我ながら思い切ったなあと今でもしみじみ振り返っている。

その中で、忘れられないのが宮崎遠征の、一幕で。三宮からフェリーで高千穂へ、0泊3日(フェリー泊)でいくつかの神社さんをめぐる弾丸ツアーに参加していたときのこと。
添乗員さんつきのツアーだったため、移動のバスでは、出向く神社さんについての予備知識を得る機会があった。バスツアーの醍醐味ともいえるよね。

出向いたのは天岩戸神社。添乗員さんの話だと「天安河原の橋のところが、ひときわパワーの強い場所」とのことで。某スピリチュアルの巨匠さんなどがおっしゃっていたみたい。
ふむふむなるほどと受け止めながら、まずは神社さんの本殿におまいりしてからだよね、とバスをおりたとたん……。

ざわざわと、胸騒ぎ。
まだ駐車場だし、神域にも入っていないし、うわさの天安河原まではだいぶ距離がある。

いつものように鳥居前で一礼。
鳥居をくぐってから、さらにざわざわが止まらなかった。とはいえ、怖い、とか、しんどい、とかは一切なかった。
ただ胸があつくて、何かが揺れてて、うれしいような、くすぐったいような。

神職さんに案内いただいて、本殿の奥(ご神体を遥拝できる場所)へ誘導してもらったら、もうそこでピークだった。

涙が止まらなくて。

悲しくもないし、自分がなんで泣いているのか自分でもわからないし、びっくりだったんだけど。
本当に「うええええん」くらいの勢いで涙ぼったぼた落としながら参拝させてもらったんだよね。

あまりに泣きすぎて添乗員さんが引いてたくらい。
※まだ天安河原きてないよ?! とも言われたなあ

そのくせ、うわさの天安河原の橋では全然ぴんとこなくて、泣き疲れたこともあり凪の状態だったりしてね。あの温度差は自分でも戸惑った。

うわさの天安河原。。。

この忘れられない参拝が何なのか、まだ今のわたしではわからないんだけど。
過去一、「神さまに歓迎いただいたなあ」と感じたできごとだったりして。
シンボリックなものは何も見なかったし、天候や雲の状態も変わりなかったけれど、わたしの感覚が答えを出した状態として受け止めている。

それでいいんだよね、神さま。

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