#06 受け取ることば
神さまと天使とおばあちゃんと
見えない世界の住人は、どんな姿をしているのだろう。
これに関して、わたしはひとつの仮説を立てている。ここで書くのは広義の霊的存在ではなく、視える側の人に対して、メッセンジャー的に現れてくださる存在についてね。
結論から言ってしまうと、「その人にゆかりのある何か」の姿をとっているのではないかということ。
視る側の人が「天使だ」と定義すれば天使だし、「神さまだ」と定義すれば神さまになる。亡くなったおばあちゃんだったり、歴史上の偉人だったりするかもしれない。視る側の人がそう思えば、そうなんだろう。
だからこそ、わたしたちが生きる世界のことばには、あらゆるジャンルの高次元的な存在があるのだとおもう。
では、定義する意味って、なんだろう。
これもひとつの仮説を立てている。自らが「その存在のことばであれば、腹落ちして受け取れる存在」だと感じていること。
必要なメッセージは、次元が違う自らの根源、ハイヤーセルフが投げかけてくれている。ハイヤーセルフのメッセージそのものを受け取れる人もいれば、何か別の存在を通して、ハイヤーセルフのメッセージを受け取る人もいる。別の存在というのが、神さまだったり、天使だったり、おばあちゃんだったりするんだろう。
誰かからの言葉だから、受け取れる。腹落ちできる。
ここまでが、わたしの持論。
不動明王さまに叱られたおはなし
今日は実体験もすこし。
10年以上のつきあいになる友人がいる。彼女は大きな病気を患って(今はすっかり元気)、一時期不安定なことが続いていた。
数年前。当時のわたしの職場近くに、有名なお不動さんを祀るお寺さんがあって。わたしは通勤する日、ほぼ毎日そのお不動さんへ通って、友人の健康を願っていた。
3年くらい勤務していた会社だから、けっこうごあいさつさせてもらってたね。
時はすぎてコロナ禍突入。会社の都合で、わたしは転職を余儀なくされることとなる。
かつ、家族の大病が重なり、今度はわたしが不安定な時期が訪れて。落ち込んでいたわたしを励まそうと、その子がかけつけてくれたんだけど。
まさかまさかの言葉を聞くことになる。
「後ろ」
「お不動さんが、めっちゃ怖い顔で怒ってる」
「家族の問題は家族の問題、もっと自分を大切にしなって」
……実は、彼女が視える側の人だって聞いたの、これが初めてで。
かつ、視えないわたしの後ろにいてくれたのがお不動さんってこともびっくりで。
彼女とのつながりをたどったとき、毎日欠かさずお参りしていたことがすぐ頭に浮かんだよね。直接的な視え方でなくとも、間接的に(ハイヤーセルフ→お不動さん→信頼できる友人→わたしの導線)必要なメッセージを届けてくれることもあるんだって。
必要な情報を、選んで受け取る時代
数年前からは考えられなかった。今ではわりとすぐそばに、スピリチュアルな情報があふれている。
あふれすぎて、どれを信じていいかわからなくなる。
そうだよね、人は信じたいものを信じるし、信じるって決めたことについてはある種の考え方のバイアスがかかる。だから、主張の異なる情報がたくさん存在するんだろう。
図書館や本屋さんみたいな感覚でいてもいいのかな、と最近はおもっている。今自分が触れてみたいこと、学びたいことを「自分の意思で」つかんで、受け取っていく。あっ、この教材違うな、あっ、この雑誌わたし向けじゃないなと感じたら、そっと棚にしまう。
わたしはできれば、楽しくてわくわくするものを手に取りたい。この物語はこれからどうなるんだろう、このムックの付録って夢中になれるよね! みたいな情報で、できれば満たされていたい。
ときにはどうしてもチクチクグサグサ刺さる情報がぶつかってくるけれど、避けられないなら、せめて早くに回復できるだけのレジリエンスを身につけていたい。
そのためにも、情報とのつきあいかた、向き合いかたは難しくそして大切で。おぼれそうになったとき、「自分は今図書館にいるだけなんだ」と目線を変えて、そっ閉じすることも大切だなあとおもう。
自分の意思で閉じるとき、あんまり深く考えなくても大丈夫。
大切なメッセージならきっと、違う形で教えてくれる誰かがいるから。