娘と別れてからの旅
ようやく、5月の旅の終わりを書くつもり
なかなか言葉にするのは難しい。
前に書いたことがあるんだけど、
祖母の弟は戦争で死んでいて、
幼い頃からその話を聞いて育った。
祖母は毎月4の付く日に巣鴨のとげ抜き地蔵に
行っていて、子どもの頃夏休みになると
一緒に行っていた。
1980年前後くらいか、4の付く日の巣鴨は
とても混んでいた。歩いていると
腕や足のない戦争に行く時のような服装の人が
道の端に立っていたり座っていたりしていて
その前にはお金を入れてもらう入れ物があった。
何故か戦争で弟を亡くした祖母は
そういう人に同情せず、
私にはあれは詐欺だから見るなと言っていた。
どういうことか分からないまま今に至るんだけど
成田山の山道でも見かけたように思う。
私の育った時代は戦争と言えば湾岸戦争で、
自国の戦争は遠い過去の出来事のようだけど、
まだ何処かに薄っすらと残り香のように
残っていたんだと思う。
祖母の話聞いて育った私は
多少リアルに感じてはいたけど、
祖母の弟の娘であるのんちゃん姉妹は
明るく楽しい性格で亡くなった父親を
覚えている訳でもなく、
のんちゃん達の母親は
そのあと祖母の弟の弟と再婚していて
新しく子どもは産まれることもなく
祖母の田舎の後継ぎとして、
どちらかといえば裕福に
生活に困ることなく育ったのだ。
だから
祖母の話は知っていても
実感のようなものはなくて、
最初は夏休みの読書感想文用に
戦争のことの本を読むようになったのだ。
旅の話なんてどこにも無い話になってしまった。