#5 インクルーシブな世界へ
再発での急性期治療も終わり、アボネックスからジレニアへと変薬し、日々の日常が戻ってくるかと思っていましたが、私が知らないないところで大きな問題に直面し戦っていてくれた母がいました。
現在の私の身体機能は、杖時々車椅子という、一般的に言えば障がい者です。
私が通っている高校は1年生の教室は4階にあり、エレベーターはありません。
教員がずっとついていられる体制ではなく、もし万が一階段から落ちてしまったら。
そして、車椅子使用時4階まで上たり下ろしたりが毎日可能かどうか…
など、母は高校側から特別支援学校へ転校してほしいという無言の圧力を受けていました。
しかし、中学も心臓病や神経内科の入院で、院内学級と通常学級を行ったり来たりだったので、高校は3年間同じ学校でというのが母の希望でした。
私がその話を聞いたのは母が何度か高校側と話をしてからのこと。
私は、寂しいけど私を受け入れてくれない高校には行きたくないと言うのが素直な意見でした。
車椅子を上に上げてもらうにしても、嫌々してもらっていたらいつかは事故が起きてしまうし、やりたくないのに強制的にやらせてしまうのは嫌でした。
だったら、特別支援学校で勉強した方が全然良い。
母には、入学金など払ってもらい本当に申し訳ないけど、本音を伝えたら分かってくれました。
直ぐに転校の手続きをして、私はまた特別支援学校の生徒に戻りました。
しかし良いこともあり、
病弱児にも平等に学習できる環境があるべきだとだと、特別支援学校の教師になりたいという夢ができました。
特別支援学校高等部の進学率は低いと言われていますが、絶対に大学進学してやろう!と母と言っていました。
全ての教育期間が障害者を見捨てているわけではありません。健常者や障がい者というくくりなく、皆が一緒に学習している教育機関も今ではたくさんあります。
その様なインクルーシブな世界であることがHAPPYに繋がるのだろうと思います☺︎