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#2 病名の宣告

2013年夏
私は神経難病患者となりました。

宣告の日は私には知らされていませんでしたが、母は聞いていて、母が病院に来られる日になったようです。

神経内科のおじいちゃん先生と30代くらいの女性の先生、そして母と私の4人で、病棟にある説明室でお話。

まず病名は"多発性硬化症もしくは視神経脊髄炎"。

MRI画像がないことが診断の決め手に至らないようで、どちらの要素もあり決め手にかけると。
どちらの疾患も急性期治療は同じですが、再発予防の治療が異なるため診断を間違えるわけにはいかないようです。

ですが、多発性硬化症か視神経脊髄炎のどちらかで間違いないと言われ、私は視神経炎のことを調べた時に出てきたワードで、治療をしなければ進行する疾患というイメージがありました。
なので、先生の口から疾患名が出てきた時は、恐怖で涙しか出てきませんでした。

少し落ち着いた私に先生は
「しっかり治療していけば、直ぐに進行する病気じゃないから。応援団は全国にいる助けてもらおう」
と言われました。

ここの病院で視神経炎と両足の治療は終了。

視力は前程までには戻りませんでしたが、視野の後遺症はありませんでした。両足はスッキリと改善しました。
そして、確定診断ができていないので再発予防がまだできない状態。
これ以上はこの病院では無理だからと専門医がいる病院を紹介して頂きました。

病名宣告後、私は何とか気持ちを「これから!これから!」という方向に持っていっていますが、母が落ち込み気味。
笑顔溢れる母だったのに、笑顔が消えてしまっています。

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