デイヴィッド・ホックニー展。ただただ絵を楽しむ
最近人と熱く語ったり、
自分の感情がぐらぐらと動かされたり
ちょいと疲れたな
よし、美術館行こう
といった感じで一人で美術館へ
今日行ったのは
「デイヴィッド・ホックニー展」@東京現代美術館
広告見た時に絵のテイストがあまり好みではなくて、うーん行かんでもいいかあ、なんて思ってたけど
普段なら行かない展示だろうからあえてここに決める。
結果、やっぱりそんなに好きではなかった(笑)
(なかなかない展開)
もちろんパッと明るい印象で見応えはあるけれど
心を惹かれてそこから離れられない、
ってほどの作品には出会えず。
でも、なんでも好きだと言うんじゃなくて
これはイマイチだったなって思えることも
美術が好きという感情のひとつかなと思った
ちなみに同館のコレクション展は
すごいよかった
私は元々抽象画は好みではない。
筆跡から作品の奥深さが分かるとか、
細かな部分まで様々な色が重ねられているこだわりの強さを見るのが好きなので、
抽象画だとその細かなこだわりみたいなものが
感じにくい
だから抽象画チックなホックニーの絵が
ピンとこないかもなと思ったけど
コレクション展の抽象画はじっと見てた。
なぜだ、、
あくまで仮説でしかないが
「あんま好きちゃうかもな」
というフィルターの影響はだいぶ大きいかもしれない。
そのフィルターの有無にかかわらず
多分私は今回の展示にはさほど感動しなかっただろうけれど(笑)、
そのフィルターは普段から自分の感情を決めるのに影響を及ぼしている気がするなあ
↓ここから全然関係ない話
このnoteを書きながら唐突に思い出した、
違和感のあった話。
なんでも好きだと言うんじゃなくて
これはイマイチだったなって思える感情も
大事よなって書きながら、
なぜか以下の話を思い出した🦑
丁寧に焼きすぎるせいで待ち時間が長いホットケーキ屋さんに行ったことがあった。
予約していって、店内は私達含め3組なのに
2時間待ちという謎状況(笑)
でも口コミでは
「2時間待つ甲斐があるおいしさ!」って書いてるコメントが多くて
もちろん味は美味しかったけれど、
正直「それは言いすぎやろ」と思った(笑)
2時間待つことを正当化してるだけやん、
別に待たなくもいいなら待ちたくないわ。と
好き!とか良い!とか思いたいものに対して
人間の脳は正当化をさせるのかもなんて思ったり。
今回の二つの話がそういうまとめ方で収束するのかは全く分からないけど(笑)
なぜか私の脳内に現れたので書いとく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?