#63 中学校のお話
さて、幼少時、小学校と続いてまいりました
「自分史」シリーズも中学生編。
ここからより深刻に、そして思春期ならではの
心の不安定さが出てきます。
中にはよりリアルでシリアスな場面もあったり。
苦手な方はご遠慮ください。
私服登校から制服に変わり、気分も大人になって
中学生が始まりました。
初っ端からクラスの学級委員を引き受けるなど
優等生っぷりを発揮していた気がする笑
違う小学校から学区の関係で同じ中学校へ来る
初めましての同級生もいる中でスタートです。
中1で忘れもしないのが、健康診断の時。
学年関係なく各教室を回るのですが、
先輩でとても目を引く、キレイな顔立ち、
とてもスタイルのよい女性。
しばらくその先輩をじっと見ていました。
向こうも私に気づき目が合うのですが一瞬で
それでも今までにあったことのないくらい
目がくりっとして素敵なたたずまいに見とれていました。
しかし、その後思わぬところで再会するのです。
ちょうどこのころ私は声優にあこがれていました。
漫画かくのにも小学校高学年から友達の影響でハマって
いろいろ創作して描いてた。物語を考えるのが本当に
好きだったようで。空想が好きだったのかな。
好きな声優さんもいてアニメも好きで、
声優になりたい!と思ってた時期。
当然親には反対されますよね。
安定した職業じゃないと。
演技に興味があったから演劇部へ。
なんと、その演劇部の部長さんが
健康診断のとき気になっていた
スタイル抜群の美顔の先輩でした。
まるで宝塚にいるような佇まい。
本人も「宝塚にスカウトされた」的なことを
言ってたので(中学生なのでお許し下さいね)
本気で信じたり。友達にベルばらが好きで
宝塚に興味がある子もその先輩の虜に。
(その友達も演劇部へ。仲良い子はみんな同じ部活)
後から気づいたのですが、おそらく先輩は
生育環境の影響かとても特殊で変わった人で
虚言壁もあるのかな、と後々に気づくのでした。
そんなわけで楽しい中学生活が始めるのでした。
小学校のとき5年生以外ずっと同じクラスの女の子がいて
とても仲良くしてた(と私は思ってる)
その子はモデル活動もしていて同じマンションの他の
女の子と仲良かった。その子もタレント活動してて。
同じダンススクールに通ってたみたい。
私は、なんというか依存体質なのか、そのモデル活動してた
友達にべったり。抱き着くこともあって(今思うと
相手の子が迷惑だったろうな・・・)
1年生も同じクラスだったかな?でもその子は陸上部へ
自然と中学校で離れていき、高校は別へ。
全く連絡もとらず疎遠に。
大人になってタレント活動してる子と偶然マンションで再会
話しの方向で、そのモデル活動してた子と3人で
ごはんに行く機会がありました。
先日久々に会えてうれしかったな。そんなことを思い出す
当時私が通っていた中学校とその学区では
今思うと荒れてたようで(当事者である私には
状況把握が難しかったけど)比べるものもなかったし
これが中学生なのかと思ってました。
金髪少年に、トイレ喫煙。
いじめ、女子のあの集団でないといられない心理。
周りの友達はいじめがエスカレートして
ついに学校に来られなくなってしまいました。
毎日お手紙を書いては家まで届けに行ったな。
あの時の自分、何が正しかったのかわからなかったけど、
必死にやってたと思う。
先輩は卒業して高校に進学したけど、たびたび会う。
中学校から近いところに住んでたようで。
すっかり変わり果ててしまった。
片腕には自傷傷がまんべんなく、たくさん。
「死のうと思っても、死にきれないんだ」と
衝撃的な光景でした。
中学校生活の間は気づかなかったけど、
先輩いつも長袖ジャージを着ていたなぁ
隠れて自傷していたのかな。
このころから、私は人間は身体だけじゃなくて
心も病気になるんだと幼いながらに思いました。
それが今の自分につながります。
あのとき、私はどうしたらよかったか、助けるには
何をすればよかったのかと考える日々が続きました。
その疑問の答えは、なかなか見つかりません。
それから自分も男子からの冷やかし、からかいを受けました。
主にバスケ、野球、サッカー。
男子達の幼さもあるんだけど、目が合うと笑ってきたり
本当に失礼すぎるし気分悪かった。
それで男子も怖く思えて来た。
同じマンションで小学生のとき片思いしていた男子にも
なんとなく冷やかし男子のグループに入るは
いじわるしてくるようにしか思えなくて、
本当に嫌だった。
心を開ける友人も病んで学校に来られない、
転校してしまったりで、よりどころがない。
孤独を感じて、自分も気持ちが滅入ってしまった。
2年生のクラスは正直しんどかった。
けど休まずに学校に通えてた自分、すごい。
親がきびしいのもあって、簡単には学校を休ませてはもらえない。
むしろ精神面は、自分の気持ち次第だという考えだと思う。
当時の親からしたら、昭和世代的な考えですよね。
自分のつらい気持ちを共感してもらえない、そんな孤独感。
あとは親への不信感もあって、ふさぎ込んでた。
どうせ話しても聞いてくれないと。
親は、自分たちの言う通りに子どもを従わせる。
そんな家庭だったと思う。窮屈でしかたなかった。
自分の意見が通らない。親に従うだけの家。
親としては楽だったでしょう。
友達と遊びに出かけたくても、中学生でも電車を使った
遠くのお出かけはまだ親の同伴なしには許してもらえなくて
でも、どうしても行きたい遊びの約束があって
でも直接聞けないから手紙に書いたの。
親は手紙で行ってもいいよと返ってきたけど。
結局わたしはその遊びに出掛けなかった気がする。
だって聞いたの遊び約束の日の前日夜で、返事を読んだのは
当日朝だった気がするから。出かけるにしても親の許可が
必要で、面倒だった。門限も早い。
思春期で、周りの友達に合わせたいけど親の許しが
得られないとの葛藤。
友達にFF10(PS2)貸してって言われて断れなかった。
本当は、うちは貸出禁止だったから。トラブルのもとに
なったり、返ってこなかったら嫌だから。
でも、その子は幼馴染で仲良くて、断れなかった。
嫌われたらいやだなと思ったから。
こういうことも親に相談できなかった。
結局貸したら、大人になるまで返ってこなかった。
高校も同じだったけど、早く返してほしかった。
結局わたしが持ってた期間より長く持ってた。
最初から断ればよかった。今なら思う。
自分を犠牲にしてまで、家族の目を気にして
貸し続けて来た期間が無駄に思えた。
ここにきて思い出した。同じマンションの子達とのこと。
小学生に戻るけど、よくお互いの家を行き来して
遊んでた。当時シルバニアとか、おままごと系が流行ってて
自分は買ってもらえなかった。うらやましかった。
当時それで、隠れてポケットにしのばせて・・・
お友達の家にあったものを持って帰ってたりしてた。
今でいうと最低だなって。気づかれてたのかな。
でも何も言ってこない。
でも途中で悪いと思ったのか、次に遊びに行ったとき
さりげなく返した気がするんだ。
それがきっかけで、嫌われたり疎遠になったのかな。
スーパーでも当時お菓子コーナーを見ては、
ポケットに入れることがあった。
おもちゃ付きのお菓子とか。
ポケットいっぱいにつめてたから、近くにいた
スーパーの店員のおばさんとかに声かけられた。
家に帰ってからも、母親からこんなに大量に
どうしたの?!と言われることもあった。
具体的には覚えてないけど、うまく切り返して
答えて、その場をしのいでた気がする。
欲しかったんだよね。でも言えない。
買ってもらえないから。欲しい気持ちを表出できない。
でも目の前にあって我慢できなくて、とった。
子どもだからって許されることじゃない。
小学校低学年くらいの話。
今ここでしなければならなかったのか。
ふと思い出したから。
私もこうした家族環境の影響もあってか
中学校や思春期で苦労したのかな。
その先の成人になるまでも多くあった。
私は幼いころからずっと我慢してきた。
感情を表に出せずに堪えて来た。
相手に合わせてきた。
今の自分をつくった経緯だなって感じた。
そのおかげで長く私は苦しんだから。
1つ上の先輩が荒れてたせいで、
2年生の時の遠足がなくなった。
よっぽど遠足先の態度が悪かったのか
関係のない私たちの代が犠牲になった。
3年生は修学旅行。
ちょうど大河ドラマで新選組が流行り
その流れで京都観光も新選組ゆかりの地めぐりへ。
楽しかったな。そこそこ話せる女子グループ
(わりとおとなしめ)な女子もたくさんいて
クラスの雰囲気もよかった。
担任は割と若めな男性。
「笑顔がいいよ!」っていつもほめてくれてた。
その担任は私たちが卒業後
盗撮でつかまり、今は教員じゃないです。
当時知ったときは衝撃的だったけど
犯行に及びそうな雰囲気もあったから
納得かな。
1年生のときから学級委員に合唱コンの
ピアノ伴奏、いろいろこなして
演劇部も部長へ。
プレッシャーだったり生きづらさだったり
いろんなことが影響して、私も一時
学校に行きたくなくて手首をカッターで
切りつけてた。軽くだけど。
周りでリストカットが何人もいたから
その影響もあるんだけど。
ストレスからの逃げ、自分を追い込む手段として
自分のなかで考えがあったのかも。
男子からの目線が怖かったり、冷やかしを受けたり
本当につらかったな。誰にも相談できなくて。
そうするしか、そのときの自分には選択肢がなかった。
辛い時期を乗り越えて受験シーズンがやってきます。
私には幼いころから親から
「大きくなったらここに通うんだよ」と
言われてきた高校がありました。
偏差値も高く、地元では有名で家からも近い。
担任にも「がんばれ!」と言われて励まされて来た。
塾にも通いだした。地元のみんなが通ってる有名なとこ。
そこで思わぬ出会いがありました。
他の中学校に通ってる男の子が気になったのです。
部活動の大会を見に行ったり笑
当時の自分を思い出すと恥ずかしい…
バレンタインに手作りお菓子もかな?
あと手編みのマフラー(重い)
渡して告白。
もちろんダメです。失恋。
それが公立高校受験前。
そりゃ集中できんよね。
上の空だったもん。
高校入ってからもしばらく引きずってたなー。
塾に通いだしてから、ガラケー持てて
勇気を振り絞って初めてアドレス聞いて。
当時はメールだったから、高校生になっても
連絡送ったり。もちろん返ってこないよねw
夢見がちの恋に恋してる痛い女子だったかも笑。
同じく同じ中学校内の同級生でも
3年生になり?クラスは違うのに
たびたび廊下などで出会うと目が合う男子がいた。
その男子は、私の嫌いなバスケ部男子グループにいて
ちょっかい出してくる嫌な奴の中で唯一話したことがない
おとなしめの男子だった。小学校は違う。
学校行事の百人一首大会では、同じグループになって
他にも同じマンションのタレント活動の女の子と
小学校同じクラスだったモデル活動中の女の子がいて
モデル女子の子が意識してるのか?(その男子と同じ部活)
タレント女子にアタックするよう仕掛けてる様子を見て
あ、モデル女子の子は、この男子好きなんかなって
思ったり。それで引いたというか冷めたというか。
そもそも塾の彼が好きだし、その男子とはしゃべらず
目が合うだけの関係。なんだそりゃ。
結局進学先も違ったし話さずに終わったかな。
小2で片思いしてた初恋の男の子とは
1年時に合唱コンで私ピアノ伴奏で指揮を振り、
3年時に学級委員会で他クラスだったけど被って
話したけど、遠い過去のように普通に話した。
あ、そういえば好きだったなー程度。
その彼は、私が行きたかった公立高校に進学。
私は見事受験に失敗。幼いころから親に言われて来た
公立高校へは行けず併願を受けた私立高校へ進学することに
なりました。
最初は、絶望感にさいなまれてたけど笑
これが人生における大切な機会、経験だったとは。
その高校に進学出来て良かったと今では思っています。
高校編は、次に続きます!以上です。
※途中、重たい話をすみません。