思うがままに導かれて
気まぐれに書き綴っているnoteをいつも
見て、サポートも沢山頂いて本当に
ありがとうございます。
何らかのかたちでお返しできたらといつも
思っています。
言葉よりも行動、行動ですね!
最近の私はと言いますと
思いついた事は直ぐに行動を移して
仕事に趣味にと楽しんでいます。
忙しくしていれば余計な事を悩まなくて
済むのでとても良き。
最近始めたことの一つにパイプオルガンが
あります。
YouTubeでパイプオルガンの何とも言えない
パイプから響く音に、心が癒やされたというか
心が洗われる感覚が湧いてきました。
今まで何かを得るために必死に知識や技術を
身に付けて頑張ってきた日々から
何かを得られなくても、それがこれから
先に何の意味がなくてもそんなの
どちらでもよくって
心からやりたいと魂が喜んでくれる事に
心の声に従ってエネルギーを費やす事に
今は喜びを感じていています。
被写体としての自分もそうかも
しれません。
活動することによって得られるものは
何もなくて、そこにはお金を得るためでも
なく、ただただ魂が喜ぶことを
している。
何々すべきから追われている毎日から
ほんの少しだけ自分と向き合っている
オルガンと向き合う神聖な時間は
とても贅沢だけど、不思議な空間。
被写体としての自分もその一つ。
両手足を使って全身で表現をする
パイプオルガンととても似ていると
思いませんか?
ピアノは両手、パイプオルガンは更に
足を使っているので難易度が高く
なりますが、両手足三つのパイプ音が
重なった時の綺麗な音には感動します。
難易度が高いからこそ
一曲の音楽が弾けた時の喜びは
山登りを終えた時の登頂から見える景色、
感動と似ている。
私はそこに達成した時の自分だけ
でなくそこに至るまでの
沢山の失敗している自分の姿も
へんてこりんな部分も
隠さずに見てもらって
それなら自分にも出来そうだと、
一歩踏み出せる勇気になって
貰えたらな。
私を撮ってくれる人々の写真からも
いつもまるでクラシックな音が静かに
聴こえてくるようです。
モノクロの世界からは、色がない世界
だからこその色や景色、香りを想像
させてくれます。
両手足で奏でるパイプオルガンの音は
まるで天国に繋がる階段を登っている
ようで、とても不思議な気持ちに
なります。
そこに言葉はなくとも、音の聖書により
間違えた心を、正しい道しるべへと導いて
くれてている、そんな気がするのです。
長年ピアノから遠ざかってましたが
パイプオルガンとのほんの少しの
きっかけや出会いから
身体全体で表現出来る被写体としの
自分に、とても喜びを感じて
今まで以上にもっと幅広く表現していきたい
気持ちが湧いてきました。
何かや自分の未来のために必死に
頑張ってきた自分から
また起きぬ未来の心配をそんなにしなくて
いいんだよって
少し肩の力を抜いて
今の気持ちを大切にしてあげたい。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
noteの記事の写真は京都の旅行へ行った時に
スマホで撮影したものですが、
なんだかとても素敵に撮れたので記事に
載せてみました。
清水寺の写真も光が射し込んでるのが
とても気に入っています。
またゆっくり京都旅に出掛けたいです。