【映画の噺#5】効果的な”伏線”って?「エンド オブ トンネル」
日本ではあまり有名ではない映画ですが、面白い作品です。
『エンド・オブ・トンネル(スペイン語: Al final del túnel、英題:At the End of the Tunnel)2016年 アルゼンチン』
事故で車椅子生活となった凄腕のエンジニアが、頭脳を駆使して悪党たちが強奪したカネを、横取りする計画を立てる。
二転三転するストーリーはスリリングで、伏線の巧みな配置にうならされる傑作です(ネタバレなし)。
(見出し画像のImage Souse=At the End of the Tunnel (2016) - FilmAffinity)
ハンデがある主人公
事故で妻と娘を失い、車椅子生活となったホアキン(レオナルド・スパラーリャ)。
自宅に引きこもり孤独に暮らしていたが、徐々に金も底をつき、家の2階を貸し出すことに。
愛犬も病気で、獣医から見放される。苦しむ愛犬の姿を見かねたホアキンは、安楽死させようとするのだが。
そのとき部屋を借りたい、とストリッパーのベルタ(クララ・ラゴ)とその幼い娘が訪ねてくる。明るい性格のベルタだが、娘は言葉を発することができなかった。
隣家で進行する計画
最初は困惑していたホアキンだったが、ふたりの姿に妻子を重ねて徐々に親しみを感じていく。
そんなある日、地下室で妙な音を聞いたホアキンは、エンジニアとしてのテクニックを発揮してその正体を探っていく。
隣家では、犯罪者たちが銀行までトンネルを掘って、現金を強奪する計画が進行中だった。
やがて明らかになるベルタの正体や、娘が言葉を発せなくなった理由。
ホアキンは、現状を打破するために悪党たちが盗み出す現金を、横取りする計画を立てるのだった。
効果的な伏線とは?
ラストで主人公が逆転する場面で、突如として視聴者/読者が知らない設定がでてきたら、ご都合主義と言われる。
そのための布石として『伏線』があるわけ。
伏線があまりに露骨だと、先の展開を読まれてしまう。
しかし、ふつうの描写に紛れ込ませると、読者/視聴者は印象に残らないため、ラストで起こる展開がわからなくなる。
物語の冒頭で印象的なシーンとして描かれつつ、ラストでは全く別の意味をもって結末を納得させる。そういった理想的伏線が生かされた作品には、なかなか巡り会えない。
この『エンド オブ トンネル』のラストも、最初に観たときは、アッ!となるまでに時間が掛かった。
伏線は見事だが、二転三転する物語に追いつくのが大変だったからだ。
作者は自作を考え抜いているので、ちゃんと伏線を仕込んでるもんね~、と思っても。。。読者・視聴者が流して作品を観るときに、伏線に気づかれないことがままある。
そんな時、ご都合主義と批判されたりする。
ちゃんと読め、観ろ!ほら、ここに伏線があるでしょ!とすべての客に説明するわけにはいかない。
読者の印象に残らない伏線は、伏線じゃないのだ。
アルゼンチンの俊英
監督・脚本を務めたのは、アルゼンチン・アカデミー賞の最優秀脚色賞や各国の映画賞を受章したロドリゴ・グランデ。
日本での公開作は、これが初めてのようだ。
しかし本国での評価は高いようだし、2001年の”Rosarigasinos”も面白そうだ。
アルゼンチンはサッカーだけじゃない、らしい。
車椅子というハンデを乗り越えて、八方ふさがりの状況からの逆転を仕掛ける主人公は、マーベルの超人にも劣らないヒーローだ。
マンガなどでは、「伏線の回収」という言葉がよく使われますね。
意味ありげな台詞を主人公が吐いていたのは、こういう意味だったのか!という「納得」感が得られたときの常套句です。
小説などの作劇上の伏線とは若干異なるようで、伏線未回収で話が続くこともあります。
ああ、これは後半で使われる伏線だから、主人公とライバルは生き別れの兄弟なんだよ! などと得意げに呟いたりすると、見事にスルーされて恥をかく、なんてことも。
この場合、「伏線」ではなく、「ミス・ディレクション」「レッド・ヘリング(燻製ニシン)」と呼ばれます。
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