【科学夜話#2】不死性の獲得と癌化
不死の細胞ヒーラ
細胞を生物の体外に取り出し、それだけを切り離して培養する技術は今では一般的な技術になっている。
操作自体は簡単で、クリーンベンチなどの機材があれば中学生でも可能だろう。
透明な培養フラスコの底に、上皮細胞が張り付いて増えていくのは不思議な光景だ。
細胞を培養するための無菌操作の練習には、培養が簡単なHela(ヒーラ)という細胞がよく使われる。
培地(培養液)にpHで色が変わる成分が含まれており、培地が古くなると交換する。増えすぎて培養フラスコの底面いっぱいを蔽うと、剥離して死滅してしまうので酵素処理でばらばらにして間引きしてやる。
ヒーラとは女性の子宮頸がん(*1)に由来する細胞だ。
ヒーラ細胞は、培養によっていくらでも継代し、分裂増殖させることが可能である。個々の細胞死はあれど、総体としてのヒーラ細胞は元の女性が亡くなった後も死ぬことなく分裂し、生き続けている。
こうした不死性(Immortality)を獲得した細胞株の研究によって、医学生物学は進歩してきた。
正常な細胞は死滅する運命にある
いっぽう動物の組織細胞をばらばらにして、培養を始めたばかりの初代培養細胞(primary culture=プライマリー・カルチャー)は、ある程度分裂を繰り返すと死滅してしまう。
DNAが折りたたまれた染色体の末端には、テロメアという回数券のような構造があって、1回分裂すると回数券が切られて短くなる。テロメアがなくなるともう分裂できない。
細胞の不死化には、このテロメアを修復する酵素の活性化も関与している。
こうした知見は、お肌の若返りに結びつくのだが、短絡は禁物だ。
なぜなら、不死化は癌化と分かちがたく結びついているからだ。
むかし偶然見つけた新物質は、死にかけの毛根を賦活して発毛促進を行う毛生え薬だったのだが、発癌プロモーターでもあった。
「醜く生きるより、美しく死ね!」というキャッチコピーで売り出しましょう、という私の提案は、ハゲの上司に却下された。
死んでくれ、という命令を拒否
不死化したヒーラ細胞は、そのほかにも染色体数が多くなるなど、内部はかなりわやくちゃになっている。
そのひとつが、不死化細胞の特徴として自死プログラムと呼ばれるアポトーシス(Programmed cell death=プログラムド・セル・デス)を受け付けなくなることだ。
アポトーシスと言えば、コナン君が小さくなった薬、アポトキシンの語源にもなっている。
これは実によく練られたタームで、コナン君はもとより蘭ちゃんや小五郎のおっちゃんが声優が変われど老化せず、生き続けていることの暗喩ともなっている(?)。
アポトーシスとは、細胞が癌化したり、オタマジャクシの尻尾のように不要になった器官の細胞に対し、上司が「スマン、責任を背負って死んでくれ!」と頼み込む現象だ。
死ね! と命令されたら腹かっさばいてみせましょう、のサムライ魂をもつのが正常細胞。
それに対し、アンタラおかしいぜ! と叛乱を起こしたのが不死化細胞である。
身体を構成する細胞が不死性を獲得すると、皮肉なことに本体からの指示を無視して暴走する組織、すなわち癌になって、本体すなわち所属する組織ごと滅んでしまうのだ。
この教訓は、自分で責任をとらない上司をもったら、癌化すなわち組織事態を滅ぼす暴走をするしかない、ということであろう(!?)。
民間伝承のなかの不死者たち
不死性を望む者、アンデッドやバンパイヤは不死の体を得る代わりに、人間界にとって癌ともいうべきモンスターになってしまう。
死なざる者を描いた至高の作品ともいうべき「ポーの一族」(萩尾望都) を筆頭に、日本人は繊細で耽美な世界観を好む。
いっぽう、米国などでは死なざる者であるゾンビを、ヒロインがちぎっては投げちぎっては投げするアクションなどが好まれる。
スタイルは違えど、人間の究極の望みである不死にトレードオフで負の遺産がつきまとうのは、人々が不死化と癌化の切り離せない関係性を理解していたからだ、というのは深読みが過ぎるか。
-reference-
(*1)不死細胞 隠れたヒロイン/医学に貢献 無断採取の「悲劇」『日本経済新聞』朝刊2021.1.31
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