【科学夜話#17】日本における鼻行類に関する一考察
『鼻行類』は南太平洋に位置する、ハイアイアイ群島(Hi-yi-yi Islands、Hi-Iay Islands、Heieiei Islands)に生息する(現在では生息していたと記載すべき)動物群です。
全14科189種からなり、1942年にスウェーデン人探検家エイナール・ペテルスン=シェムトクヴィスト (Einar Pettersson-Skämtkvist)が発見し、ドイツ人博物学者のハラルト・シュテンンプケ(Harald Stümpke)の著書にまとめられています(正確にはシュテュンプケの遺稿を、友人であるシュタイナーがまとめた)。
当時の日本は、太平洋戦争(Pacific War)が始まった時期にあたります。
日本における鼻行類の研究は、ハイアイアイ群島から日本に持ち込まれた鼻行類が野生化した種に関するものと、日本の在来種である鼻行類の近縁種に関するものの、ふたつの潮流があります。
(見出し画像はPublicDomainPicturesによるPixabayからの画像)
要約(Abstract)
現地では長く『逆さテング』とも呼ばれてきた、日本の近畿から中部地方にかけて生息するハキビシン(掃鼻芯)は、鼻で掃除をするがごとく逆立ちをして移動することから、この名がつけられた(図2)。
その外見から、ジャコウネコ科のハクビシン(白鼻芯:Paguma larvata)との類縁が推測されていたが、今回DNA解析の結果、鼻行類の近縁種であることがわかった。
序論(Introduction)
鼻行類とは、鼻を歩行や捕食に使用する変わった特性をもった動物群である(図1)。
鼻行類が生息していたハイアイアイ群島は、溶岩台地の表面が苔に蔽われ滑りやすくなっていた。滑って転ぶのを防ぐために、移動に際して鼻で支えたのが、この特異な進化の発端とされる。
日本の中部地方で古来から『逆さテング』の異名をもつハキビシン(掃鼻芯)は、長く発達した鼻を主軸に、補助的に添えられた手を使って歩くという特徴がある。
このハキビシンとハイアイアイ由来の鼻行類3種のDNAを比較・解析した結果、鼻行類のなかでも跳鼻類との近縁関係が、強く示唆されたので報告する。
材料と方法(Material and Method)および結果(Results)
市販のDNA抽出キット「DNassay Plan Mini Kit (OIAGEN)」を使用して、標準法に従いDNAの抽出を行った。
ハキビシンは、名古屋県の東村動植物園で飼育されている、9歳と12歳の雄雌2匹からサンプル供与頂いた。
ハイアイアイ産の鼻行類として、ハイアイアイ・ダーウィン研究所博物館の元教授で、ドイツ人博物学者のヘンリッヒ・シュテンプケ(ハラルトの甥)氏が所蔵する標本から、剥離切片の提供を受けた。
ハイアイアイ群島の南端にあり、1957年に沈没したハイダダイフィ島に生息していた、原鼻類のヘッケルムカシハナアルキ、管鼻類のラッパハナアルキ(図3)、そして跳鼻類のトビハナアルキからサンプルを得た。
DNAのシトクロムbの分子系統解析から、日本産のハキビシンに見られる6つの遺伝子型は、はハナアルキ科のすべての種と一致し、なかでも跳鼻類のトビハナアルキとは強い類縁関係があることが示唆された。
考察(Discussion)および結論(Conclusions)
ハイアイアイ群島に生息していた鼻行類と、日本のハキビシンとの類似性は以前より指摘されていた。
今回DNA解析により、その類縁関係が裏付けられた。
興味深いことに日本産ハキビシンは、原鼻類よりも時系列的に近年に分化した跳鼻類との類似性が強いという結果だった(図4)。
このことから日本のハキビシンは、この国にもともと生息していたのではなく、ハイアイアイ群島から移入した鼻行類が適応したものと推測される。
謝辞(Acknowledged)
本研究のサンプル入手にあたって、ヘンリッヒ・シュテンプケ氏を始めとするハイアイアイ・ダーウィン研究所博物館の関係諸氏、およびハイアイアイ交流機関の方々、東村動植物園の草井胡散氏などのご協力を得た。
ここに記して謝意を表します。
残念なことに、1957年の核実験により引き起こされた地殻変動によって、ハイアイアイ群島は海没・消滅し、鼻行類も運命を共にしました。
現存する鼻行類の近縁種として、日本のハキビシンの生態研究が進展することを願ってやみません。
(参考文献)『鼻行類』 日高敏隆、羽田節子訳