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【歴史夜話#3】長篠三段撃ち伝説はなぜ生まれた?

 長篠の合戦または設楽ヶ原(したらがはら)の合戦と言えば、信長が鉄砲の三段撃ちによって、当時最強の武田騎馬軍団を退けたことで有名ですね。
 ここで、いささか興ざめなことを言えば、武田軍当時の日本の馬の体格はポニー(子馬、木曽馬)程度だったこと。時代劇に出てくるサラはいなかったし、甲冑の重さに耐えきれない。小道具さんは、役者さんと馬の負担軽減で軽量甲冑を作っているそう。
 子馬に甲冑武者が乗って攻めてくれば、別の意味でコワイ!  
 
 さらには三段撃ちはなかったかも、という説が近年は多いようですね。

三段撃ち斉射は意味がない!

 今年は松潤擁するNHKが、家康を美化した映像美を追求する以上、抑えておきたい長篠の戦い。
 巨大な武田グループの総帥、信玄が急逝したあと、後継指名された二代目社長を補佐する立場の勝頼が、功を焦って家康のテリトリーに侵入した。
 そこで家康は提携会社の信長に、援助を求めたという構図。

 旧兵器だが、当時最強の騎馬軍団をもつ武田グループに対し、新商品の鉄砲で対抗しようとする、若きビジネスマン信長。信長のIT戦略は通じるのか? どうする家康!

 新兵器である火縄銃は、銃口から火薬と玉を込め、棒で押し固め火蓋を切る、つまり火を入れるフタを開けて点火準備を行う。
 一度発射してから、次に撃つまでの準備に時間が掛かる欠点を補うため、三段撃ちが考案された。

 横三列に狙撃手が並んで前列で狙撃したのち、後列に下がって弾込めの手順に入る、という動作を繰り返す。
 単純に考えれば、一番弾込めが遅い銃手に全体が引きずられるので、斉射する意味がない。さらに発射の際に火花は煙が飛び散り、音も大きいからこんな組み体操のような団体行動は難しいだろう。
 
 馬防柵で敵の騎馬を足止めして、一斉射撃で殲滅する、という絵に描いたような作戦は難しいようだ。困ったぞ、家康。

組単位の三段撃ちはあった?

 別の三段撃ち説もある。
 三人、または予備の狙撃手も含めて四人が一組となり、三丁の銃を扱う。
 射手が銃撃後、最後尾が銃を受けとって銃身を冷やし、込め手が火薬と弾を装填する。
 三丁の銃が回転することで、射手は切れ目なく狙撃が可能になる。また狙撃に習熟した銃手が、撃つことに専念できる利点がある。

 こちらのほうが、より現実的かもしれない。雑賀衆や根来衆が採用していたとも言われる。
 種子島伝来当初は、1,000万円相当だった鉄砲の価格は、信長の頃は堺、国友で大量生産されて、一丁当たり40~50万円程度だった。
 高価な先進兵器である銃を、敵に獲られないよう周囲を固める意味でも、組になる意味はある。
 それに、一度撃つと熱くなる火縄銃を冷却するには、シモの話で恐縮だが、お小水を用いた。冷却用水の元は、多いに越したことはない。

眞の勝因、鳶ヶ巣山砦の攻防

 鳶ヶ巣山砦とは、武田軍が長篠城を包囲するために作った砦で、他にも四つの砦があった。
 この砦は武田軍が前進した場合、背後に位置するため、ここを失うと武田方にはプレッシャーとなる。当然守りは固く、勝頼の叔父である河窪信実が守将を務める。

 5月20日早暁、徳川四天王のひとり酒井忠次が4,000の兵を率いて、砦の後方から奇襲をかけ、他4つの砦とともに落とすことに成功する。見せ場ですな。番組改編期ごろかな。
 この砦を手中にした信長、家康軍は、武田軍を挟撃できる優位な位置に立ち、また騎馬隊が鉄砲隊に突撃せざるをえない状況にもっていった。

 どう見てもドラマのハイライトシーンだし、勝因はここにあった、と言いたいところ。
 しかし主役はあくまでも松潤家康だ。
 長篠は松潤が、先輩である岡田クンに出陣を請うた戦。
 それなのに、自分の部下のがんばりで勝った、などと言ったが最後、信長の不興を買いその牙は自分に向く。

 苦労人の家康は、その機微を重々承知していた。
 戦後の論功行賞の場では、この戦いを象徴するかのように鳴り響いた、信長の新兵器の威力を褒め称えただろう。
 
 実際、これ以降の戦闘では鉄砲運用の優劣が、勝敗を分けるシーンが多くなる。
 のちの徳川時代を通じて、徳川美化の歴史改竄の試みもあっただろうが、権現様直々の言葉が否定されるわけもなく、長篠伝説は受け継がれたのだろう。

日露の海戦における斉射

 鉄砲の三段撃ちは、ドキュメントとしての評価が高い「信長公記」には 記されておらず、「甫庵信長記」によって広まった。
 作者の小瀬甫庵が創作したフィクションなら、合体変形するロボットを世に知らしめた永井豪なみの影響力だと思う。

 その前に、なぜ火縄銃による斉射を信じる雰囲気が、醸成されていたのだろう。
 富国強兵策によって、海軍の増強に努めていた明治日本は、実戦によって艦砲射撃は驚くほど当たらない、ということを知る。
 シャア少佐が「ウロウロ逃げるより当たらんものだ!私が保証する」と言ったのは、根拠のないことではない。

 そこで、日露海戦におけるバルチック艦隊との海戦において、指揮官だった東郷は秘策を講じた。
「東郷ターン」「敵前アルファ」「丁字戦法」「敵前大回頭」推す人の数だけ必殺技の名があるのは、プロレスやアイドル界に限らない。
 一時の不利を計算のうえ、艦隊を整列させて艦橋から射撃諸元(方位、仰角など)と発砲命令を通信して斉射を行い、勝利したわけだ。これは肉を切らせて骨を断つ、と言いたい人が多い大衆にアピールしたことだろう。
 
 こうした先入観などがあったことが、斉射有利を信じ込むタネとなったのではないか、と思う。

 戦争の遂行ということの良否はおいて、勝つために熟慮を重ねた戦国時代から近代。そこから美化された精神論のフィルターなしで、物事を語れなくなった昭和以降はどうなの、家康? というお話。

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