【科学夜話#10】「放射能」と「放射線」のちがい、説明できますか?(後編)
以前出向していた施設での近隣住民説明会だけでなく、自社の工場でも他部署の方に放射線施設の説明を行ったことがあります。
そのとき部材管理担当者から、「我々の業務にはマテリアル・バランスちゅうものがある。製造前と製造後で、部材の形は変わっても量は不変なはずやのに、アンタの説明はむちゃくちゃやで!」と叱責をくらいました。
いやオッサン、アンタが日頃扱ってる部材とちがって、放射性物質は半減期ちゅうもんがあって消えていくんやで、という説明すらさせてもらえませんでした。
民間人との事前知識のすり合わせ、という点で失敗した事例です。
なぜウラン「濃縮」と言うか?
私がもっている「第一種放射線取扱主任者」の免許は、非密封の線源を扱うことができる一子相伝の免状だ。崇めよ称えよ!
非密封線源とは文字通り、密封されていない生の放射性物質のこと。
医薬品に放射性物質を付けて動物に投与したあと、どの臓器にどのように広がっていくか調べるトレーサーなどに使う。
放射線は、極微量でもカウントできる特性を生かした利用法だ。
こうした非密封の線源は、どこの施設でも使用後は希釈して廃棄される。というと目を剥かれる。
この環境破壊者めが! という非難の目。
イランなどが核兵器製造工程でウランを製造するとき、ウラン「製造」とは言わず、ウラン「濃縮」と言う。
加速器による放射性同位体の生成もあるが、放射性物質とは一般にこの世界に自然に存在する放射性物質の存在比、濃度を高めたもの、すなわち「濃縮物」だからだ。
放射性物質とは、砂の中に黒い粒が1,000個に1個あるのを、黒い粒を寄り出して10個に1個にし、黒い色彩を高めたものに喩えることができる。
廃棄するときは、自然状態と同じ1,000個に1個になるよう「希釈」して廃棄する。自然状態とは見分けがつかない。
希釈廃棄の原則とは、そうした処理である。
とは言っても、微量であれ近場で増えるわけでしょう?
それを言えばコンクリの建物に居住しているほうが、輻射線量的にはずっとヤバイのだけど、という反論はしない。ご免なさい、と言ってやり過ごす。
確定的影響と確率的影響
放射線を浴びたときの影響には、確定的影響(非確率的影響)と確率的影響がある。
確定的影響にはしきい値があり、その線量以下では影響が出ない。放射線やけどなどがそれに当たる。
確率的影響は少量からでも影響があり、線量が増えることによって影響を被る確率が増えるもの。発癌のリスクなどがこれに当たる。
内部被曝は、現在では放射性物質を摂取した場合すべてに相当すると、受け取られているようだ。
仮に放射性物質を摂取したところで、多くの場合トイレに流されるだけである。
もともとは、アミノ酸のような体を構成する分子の一部を放射性物質でラベルした場合、それを誤摂取すると体内に取り込まれて長く影響を与えることを指していた。
日本人の特性として、センモンカが枝葉の正確さにこだわる余り、幹を見失って一般の人が間違ったイメージに傾倒する傾向があるようだ。
被爆限度の意味するところ
例えば、一日中運転に従事して生計を立てている人は、そうでない人より交通事故に遭遇する可能性は高くなる。
雑な説明なので、久しぶりに運転すると事故しやすい、というツッコミはなし。
それと同じように、放射性物質を扱うことによって利益を得るものは、ある程度それによる被災リスクが高まるのは避けられない。
一次産業に従事する人が、その産業の特性に伴う事故リスクが増加する割合を超えない、という放射線の確率的影響を計算したのが、被爆限度である。わかりにくいね。
つまり放射線技師が、X線照射装置を扱うことによって他の人よりも高くなる発癌リスクは、漁で生計を立てている人が水難事故にあう確率よりも、低くなるよう限度値を設定している、というイメージである。
それによって得る利益が大きいものほど、被災リスクも高くなるのを許容せよ、というのは非情に聞こえるかもしれない。
しかし運転や漁は、スキルアップや教育や法令遵守で個人の被災リスクを低減することができる。
それと同じように、放射性物質も教育によって可能な限りリスク回避を行うことが本来できるはずだ。
ただ日本の場合、ヒステリックな反応に終始したため、若い人から順にこうした教育を受けるのを忌避する傾向が強くなっている。
地味な勉強をするよりも、騒ぎ立て正義の旗の下に非難をし、宇宙線を測定してツイッターに揚げた方が、イイネを多くもらえるのだから仕方がない、とも言えるだろう。
「納得」してもらう、という事
冒頭で記した、近隣住民への放射線施設説明会の顛末である。
施設長が説明会への取り組み方針を示した。
まず、近隣の人に隠し事はしない。見たいと言われた内部の施設は、全部見学を許可する。
次に、近隣の人たちが信頼する専門的知識をもった人を、オブザーバーとして招く。
「施設内全部見てもらう、と言っても特殊な防護服や事前教育が必要な場所もありますが?」
「オマエが準備しろ!」
「専門的知識をもった人、って誰が来るんですか?」
「さあ・・・?」
政治的思想の偏った厄介な人がきたら、どうしよう。そんな不安を抱えながら説明会に臨んだ。
案に相違して、近隣の方々は好意的で穏やかな会になった。
専門家として、町内の高校の物理の先生が来られた。
若いが真面目で、真摯にこちらへの質問などに取り組んでくれ、私は好感を持った。
最後には、「良い業績をあげてください」と励まされて会は閉じた。
*
私がこの会に臨んだのは1回だけですが、その後も毎年行われ、紛糾したことはなかったようです。
今ならパワハラで訴えてやろうか、と言うような酷使をここでは受けた気がします。
しかし、「一般の人に納得してもらう」とはどういうことかを学ぶ、貴重な体験をさせてもらった、とも思っています。
こうしてみると、日本が戦時下でもないのに来週の電力は確保した、とニュースになるセンシンコクになるのも時勢なのでしょう。
ただ電気料金の高騰は、製造業すべてに波及します。
価格転嫁できる大企業はいいが、中小は大変ですね。
税金同様に受信料をむしりとるNHKは、「自分の政治信条」というフィルター越しに色を付けた「禍学」でなく、ちゃんとした「科学」を説明する解説委員を使ってほしいものだ、と思います。
国民が、ちゃんとした前提から判断した結果ならともかく、ねじ曲げられた情報からの判断結果で、電気料金が高騰するのは困るのです。
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