”きょうだい児”と私と結婚の話
そんな年頃になったら結婚をするんだろうとぼんやり思っていた。
そりゃ、結婚っていうのがそう簡単に、一筋縄に行かないのはさ、わかる。
親が反対することだってあるだろう。
私も、一度は結婚を反対された。
私にケチをつけられるならいくらでもよかった。
でも、その矛先は、ほかでもない弟に向いていたのだ。
私は“きょうだい児”だ。
◆きょうだい児って何よ?
きょうだい児、という名称はわかりやすいと思う。
障害者や傷病者の兄弟姉妹のことだ。
ただ、この言葉はまだまだ浸透していない気もする。
私としては、そうやって自分の立場を表現するための固有名詞を使うことに対して、
はじめこそ納得していたが、なんだか特別扱いなような…、差別的なような…、それこそ遺伝要素をアピールして自虐的なような…
少し複雑な気持ちになる。不幸のレッテルを貼られたような気分になる人もいるかもしれないので気が引けるのだが。
今回はあえてそう表現する。
きょうだい児の支援団体はたくさんある。増えてきたと思う。
たとえば。
★ 全国障害者とともに歩む兄弟姉妹の会 様
きょうだいの抱える課題の解決のため、障害者支援、きょうだい支援、親を始めとした 家族 全体への支援(家族支援)を訴え、福祉の充実を目指しています。
★ NPO法人しぶたね 様
「しぶたね」は、病気の子どもの「きょうだい」のためのNPO法人です。
など。
上にあげたのはほんの一例で、ほかにもたくさんの人々や法人が“きょうだい児”を支えるプログラムを開いていたり、当事者の会合が催されていたり、数々の学術研究がなされたりしている。
私もまだまだ不勉強だが、詳しいことを知りたい方は検索してみるといい。ちなみに毎年4月10日は”きょうだいの日”に制定された。
さて、きょうだい児である自分について。いつもは意識していないのだ。なんというか、こころが落ち着いているときに向き合わないと、うっかり泣いてしまうことがある。
それほど、デリケートで、きょうだい児が抱える悩みは複雑だ。
さらに親からの虐待が重なったりすれば、苦しみは二倍にも三倍にもなる。
まあそれなりに嫌な出来事なので、思い返して言葉にするのは息が詰まった。
なかなか筆が進まない。
だが、このキナリ杯。
奈美さんが読んでくれるなら、少しは報われるかもしれない。
それに、だれかが“きょうだい児”について知ってくれるかもしれない。
それなら。
きっかけがあるなら、勇気を出して、書こうと思う。
◆弟の存在
私には弟がいる。
彼は中等度の知的障害と、自閉症、広汎性発達障害がある。
私は当然に、彼が生まれたときから“姉”だったから、
なんの疑いもなく弟を可愛がっている。
勝手にドアを開けて家を飛び出した時は探し回ったし、
部屋中の壁にクレヨンでお絵かきをしている姿をほれぼれと眺めたりしていた。
なにより、
『家族が恥じていたら、誰が弟を守るのだろう?』
幼心に、そんな使命感が燃えていた。くだらないが。
親に何かを言われたわけではない。
自分でもよくわからないが、自然発生的な発想なのである。
きょうだい児の発達の過程でのパターンは複数あると思う。
(受け入れられない、過度に大人ぶる、幼少期に甘えられないまま大人になる、自尊心が低い…等)。
私は、長女でもあり、“いい姉”にならざるを得なかったパターン、といってもいいのかもしれない。
実際、少し年も離れていたし、
弟のことが原因でいじめられることもなかった。
そんなことをする人が、たまたま、周りにいなかった。
自分の周囲にも弟のことを隠さずに話していた。
みんな表面上だけでも受け入れた表情を見せてくれていたから、周囲から理解があると思っていた。
幸せなことに、学生時代は自分の好きなことにものめりこめた。
弟が原因でそんなにつらいことはなかったのだ。
幸いに弟も、コミュニケーション能力こそ高くはないが、彼なりの自立をして、障害者雇用枠で就労して年金もらって税金納めてる。立派よ。
きょうだい児は私みたいな人ばかりではない。当たり前だが皆それぞれに境遇が違う。
今思えば、とても恵まれていたのかもしれない。
◆”きょうだい児”の結婚という永遠のテーマ
結婚の話になったとき、彼の両親から直接は何も言われなかった。
だから、向こうも相応の配慮はあったのだと思いたい。
息子を案じる親の気持ちは計り知れないものである。
ここで出てくる相手方の意向は、すべて彼を経由している。
私たちは年齢的なこともあって、比較的付き合ってすぐに結婚を決めた。
そのため、信頼が足りなかったのは理解できる。
しかし、通常の結納や両家顔合わせの流れにはならなかった。
なんと、予想外のことに
当事者無しの、両親同士の顔合わせが要求された。
「恋愛で長く付き合っているわけでもなく、お見合いでもなく、結婚に当たってはお互いの家族を知る機会を持つのは普通のことだ」と。
まず、ウッと息を飲んでしまった。
◆結婚という試練
両親会合の話題が浮上する前、プロポーズを承諾した私は、まず、彼の両親に会って、はじめての顔合わせをした。
それも、思い起こせば面接のようだった。びびりまくっていた私は、仕事で得た知識を悪用して、スマホで録音した。
相手が気になることを確認される、一方的な質問の嵐。それでも、自分の経歴や仕事のやりがい、家族のこと、弟について思うこと、将来のことをたくさん伝えた。自分なりにはよく話したと思う。
就職活動かよ?とも思ったが。
その日は難なく終わった。
しかし、帰宅してから彼の両親は彼に言った。
「間違っても先に私の実家にあいさつに行くな」
「結婚を急くな」
「両家合わせよりも先に、私の両親に会わせろ」と。
そうですか。
それはわかるけど。
うーーーーん。私、割と一生懸命話したんだけどなあ。
もやもや。
ほかに…どんなことを言われたかって?
この際だから書くけど。
「結婚に対する考え方と弟の将来をどう考えているか」
「どのくらいの障害なのか、将来親がサポートできなくなったらどうするかを聞いて納得したい」
「将来負担をかけるつもりがないことを彼女経由ではなく親御さん経由で示してもらう必要がある」
「彼女の印象を悪くしないようにうまくやらなければいけない」
「そういう家族がいることを最重視せず勝手に結婚の話を勧めたせいで困った状態になっている」
「将来的にきょうだいの援助をしなければならないことが明らかであれば、そういう結婚はしてほしくない」
「遺伝的なことが気になる」
こんな感じのことまで。
私が敏感に反応してしまった自覚もあるっちゃあるけど、それでもなかなかのことを言われているとは思うんだよね。特に後半部分。
はあ。
読み返してて思う。
おいこら!!!!
きょうだい児を苦しめる毒フレーズテンプレ集ランキング上位をぎゅっと集めてきたのか!!!!!!?
みたいな。
…ふーん。
そっか。由緒正しいおうち?は大変?なんだね。
うん、知らんけど。
弟の将来?
なんだよ、それ。
ちゃんと考えてるよ。
親がな!!!!
もちろん私だってできる限りのことはしたいよ!!!
でもきょうだいってのは同じ世代を生きてるから自分自身のことでも忙しいんだよね!
わかる??
あああ、だんだん口が悪くなる。
はあ?そもそも、それ、おまえらが言うことか?
定型発達の家系は、そんなに偉いのか?
障害者を追い詰める資格あるの?
って具合に。
あらら、
最初は強気だったのに、
泣くつもりもないのに、感情が堰を切り、泣けてきてしまった。
部屋にひとり、子どもみたいに声を出して泣いた。
まるで悲劇のヒロインになったような気分で。
私たちの苦労の何を知っているんだろう。
私以上に両親が感じてきた悩みや苦労や、そして喜びは?
何の権利があってそんなことが言えるんだろう?
ああ、本音と建前か。ただの偽善でしかないんだな。
…なんだかもう、よくわからなくて頭の中がぐちゃぐちゃだった。
落ち着いて考えるのには、しばらく時間がかかって。
もう私はひどくショックだった。
こんなことでくじける程弱くねーよ!へっへ!と思っていたのに。
まだまだ未熟者だ。
そしていかにオブラートに包まれて、恵まれた世界に生きていたことに気が付いた。
それと同時に人間不信になりそうだった。
温かな笑顔を向けている人も、裏で何を考えて何を言っているかわからない。(当たり前のことだ)
私だって演技をしながら、振りをしながら、ロールプレイをして仕事をしているじゃないか。
だから、友達が受け入れてくれているように見えたことも、表面上の演技なのかもしれないよな。
家族と友達は違うから、所詮、他人だから、そんなに深く考えていないんだろうな。
そんな疑心暗鬼にも包まれた。
こころない一言たちで、信頼していた世界が全部壊れてしまった気がした。
正直つらかった。
◆夫というパートナー
幸いにも、このあと夫となる彼は気にしていなかった。
私は”遺伝のせいだ”と言われることにとても怯えているのだと気づいた。
周囲が一線を引いているような気分がする。”きょうだい児”も障害者当事者とほとんど同じなのかもしれない。
なぜかわからないけど、存在を否定される気分になるからじゃないか思う。
なにもかもDNAのせいにされたら、言い返せない。
けれど、彼の気持ちは素直なもので、おそらく演技ではなかった。
「知的障害は遺伝しない。もしも迷惑ををかけると言ったら破談にするのなら酷い話だし面会する意味はない。」と言ってくれた。
(私としては、発達障害は性格的な傾向があるから遺伝的要素もぬぐえねえよな、とは思うんだけど、またこれは別の話)
演技だとしたら、まあそれはそれで。
夫としては、私が大変気楽でいさせてくれる素晴らしい人材である。
堅気で心配性な彼の両親とのコミュニケーションは骨が折れることだが、間に挟まって奮闘してくれた。
ありがとう。
ついでに、当時彼にはこう話していた記録が残っていた。
・きょうだい児だからと自分をくくるのは嫌だけど、弟もしくは家族が否定されることは健常であるはずの私の人生も否定されるような痛みがあることを少しでも知ってほしいこと。
・きょうだい児によくある差別的な扱いを今まさに受けている事実にがっかりしていること。
・そもそも障害者への忌避を剥き出しにしていること自体が私にとっては嫌。純粋に知りたい、不安、寄り添う気持ちがあるならば、早く会ってみたいとか、それでいいのでは。
・広い心で受け止める寛容さはまだ私にはないこと。
・時間とともに、障害に対する理解や、考え方を変えてもらえないかと努力する方向には持っていけると思うこと。
・もともとは人と仲良くしたい考えなのでそこは我慢できると思うこと。
・縁談を守る以上に自分の家族を守るほうが優先なので優しい嘘はつきたくない。
・たとえ結婚したとして、あとから毒づかれた時に、またうちの家族が傷つくのは嫌。
・我慢してまで結婚する必要はない。
など。
読み返していて思った。
うわ~~~!
この人、生き辛そう!!!!!!!!!!!!(お前だよ)
よく聞いてくれたな、夫よ。
ありがとう(2回目)。
◆両親の考え
さて、話を戻すが。
私は、
「そうか、ならば、仕方がない」とはすぐには思えなかったものの、ひとつの結論に辿り着いた。
この人たちにとっては、今が人生ではじめて与えられた”障害者”という“未知”を知るタイミングなのかもしれない。
無知の知か。(なんか違う)
腹をくくり、悲しいやら情けないやらで半ば泣きながら長文のLINEをしたためて両親を頼った。
身内を否定されるくらいなら、こんな結婚しないほうがマシだ!!!!ばっっっっかやろう!!!!!
めちゃくちゃに過敏になっていたので、行きつくところ、そこまで考えていた。
私は散々な甘え気質だが、一方で長子らしいプライドも不思議と持ち合わせていたので、
両親を全力で頼るのは、就職で躓いたとき以来久しぶりだったかもしれない。
率直に両親に伝えた。
・両家の話がしたいと言われていること、弟について直接聞いて納得したいということ。
・「尋問じゃないんだから答えを用意する必要はない」と言われていること。
・「婚姻を結婚式の後にしてほしい」と要求されていること。
・両親はきょうだいに苦労が掛からないように色々と考えてきたと思うし、障害児がうまれてからの受容も経験しているだろうということ。
・きっと相手のことを、私とは違った立場で受け止められるんじゃないかと期待していること。
・弟が障害者なのはそんなに特別なことなのか?なんで肩身の狭い思いをしないといけないのか?と思うこと。
・ネガティブな情報を率直に話すのも本当は嫌だったが、一人で抱えるのもつらいこと。
その後、両親は言った。
・私がひとりで抱え込む問題ではないこと。
・私に色んなハンデを背負わせて申し訳ないこと。(これは本当に両親に言わせてごめんなさいと思った)
・一方的に私が、こちらが、言われるのは不公平であり、私が気の毒であること。
・そもそも、未成年ではないので民法上は本人同士の合意で婚姻が成り立つこと。
・当事者同士での意思確認が最重要と考えているが、相手方両親が言ってくるのであればフェアではなく、こちらの考えも述べる必要があること。
・最後まで私の判断を信じること。そして、判断も時には誤りがあること。それが人生だということ。
・自閉症が遺伝病かについては様々な研究がなされいまだに収斂しない問題であること。
・彼の両親の心配は理解できること。
・悪気がないなら理解に期待したいこと。
なんてクレバーで話がわかるんだろう。
味方がいなければ潰れていた。
どのきょうだい児にも同じ境遇があるとは言わないが、誰かが味方になってくれるということがこんなに心強いとは思わなかった。
私は両親に感謝することを忘れてはいけない。
当日、両親は完璧なプレゼン資料を用意して、彼の親に説明をしてくれた。
障害の説明から、将来の生計計画まで。
その後、結婚の話はトントンと進んだ。
過去のメモを読み返していたら、彼は「婚姻の具体的な日取りについては同棲をして、障害に関する勉強や弟と出かけて触れ合う中で私や家族との関わりを通して知ってから決めてほしい」などと言われていたようだが、私はすっかり忘れていた。(こんなこと言われてたのかと笑えるし震えるな)
結局、少し間を開けて同棲をはじめ、よくある顔合わせ食事会を決行して、翌月にはすんなりと婚姻した。あたかも順調な結婚生活のはじまりだったろう。
冒頭でも述べたが、私は結局、面と向かっては何も言われていない。
それは、ある種のやさしさなのかもしれないし、知らぬが仏なのかもしれない。偽善という愛に包まれているだけなのかもしれない。
私が傷つかないように、という生温い建前に包まれて本音は知らされず、なあなあの時が過ぎていく。
なるほど、建前っていうのは理性を持つ人間が生んだ争いを回避する聡明な手段なのかも。
って、飛躍しすぎか。
ここで、勘違いされたくないのでしっかり書いておくが、彼の両親の意見は親として感じるにはよくあるものであるとも感じるし、今後もきちんと理解をしてもらえるかはわからないが、私としては仲良くしたいのだ。
相手からの好意は表面上にとどまるかもしれないが、私は折れたい。
攻撃的に感じてしまい過激にこそなったが、私の気持ちは最初からそうだ。
私は家族というものが好きだから。
我が家は決して順風満帆だったとは言わないが(この辺も気が向いたら書いてみたい)。
◆私自身を振り返る
さて、散々傷つけられたかわいそうなワタクシ、という文章を延々と書いてきたが、
私自身にも反省がある。
というか、彼の両親の気持ちの1㎜くらいを、自分に置き換えてわかることがある。
ひとは、
自分の心がとげとげしているとき
自分の要求に反する事象が起きたとき
相手が甘えられる人であるとき
言いたい放題になったり。思ってもいないけど揚げ足を取ったり欠点をつついたり、嫌味なことを言ってしまったりするのではないだろうか。
申し遅れたが、私には妹もいる。
妹が今の夫と付き合い始めた頃。
妹に久しぶりにできた彼氏は立派に働いている社会人であるが、高卒だった。
私は何気なく言った。
「大卒じゃなくていいの?」
「話合うの?」
社会人になりたての、
仕事柄、中高卒の肩書で生活に苦しむ人々を見ていたせいもあって、
そんな偏った母数から導き出した、穿った見方をしていた私の、当時持っていた価値観から出た素直な感想だった。
(誤解を生まないように言っておくが、私にだってもちろん高卒の友達はいる。尊敬できる友達もいる。そして立派に働いている)。
本当は、そういうことではない。
この気持ちの裏側には、
彼氏と別れたばかりの自分という寂しさや情けなさや疎ましさや羨ましさが潜んでいた。
ただ年上っていうだけで。
なんでも言える関係という盾に甘んじて、言いたいことを言ってしまった。
それでも、妹は「自分も似たようなものだ」「とても話が合うのだ」と嬉しそうにしていた。
学歴や肩書を気にしていた自分の価値観ってなんなんだろう。
妹は何も言わなかったが、きっとこの不躾な姉に傷ついたと思う。
二人には直接も伝えたけど、やっぱりあの時は、ごめんね。(こんな傲慢な姉と、仲良くしている妹は偉いと思う。これが弟妹というものなのだろうか。すごいな。)
ついでに、その話を当時通っていた50代独身男性マッサージ師に、施術を受けている間にぽろっと懺悔したとき、
「妹さんのこと信頼してるならなんにも言わないでしょ」
と言われた。
グサ!
そのとおりだ。
“話が合うのかとか年収とか仕事の安定性とか…?”
確かにそう思う部分はあった。大切な妹には幸せになってほしい。
しかし、私が放った一言が持つもう一つの意味は、
妹を本当に気遣うものではなく、
自分の価値観というフィルターを通した品定めであり、羨ましさや先に越された切なさが入り混じった、結局は自分の気持ち最優先のコトバだったということだ。
なんて傲慢なんだろう!
振り返っていて、自分でもショックである。
さあ、果たして姉にはなんの権利があるんだろう。
しかもこれめんどくさい小姑ってやつじゃないか。
これじゃ彼の両親と同じだよね、ってね。
誰かを傷つけた出来事は、一周回って自分を傷つけに、すっかり忘れた頃に帰ってくる。
いつもそうだ。
だから気をつけなければならない。
そんなこともあったが、妹夫婦はとても仲良くしてくれている。
表面上かもしれないけどね。
ありがとう。
◆みんな何かを抱えて生きてる
また別の話。
ある日、同僚がお子さんを産んだので会いに行った。早々にできたお子さんで、早産で入院の末1500gで生まれた。今後の成長に心配こそあれ、子宝にもすぐに恵まれ、幸せそうな彼女が困っていることはないだろうと思っていたが、彼女は一度流産も経験していたと話してくれた。
話してくれなかったら知らなかったことだ。
それと、忘れられないことに、彼女ははっきりと言った。
「障害がなくて、よかった」
そーか。 そーか。
…そうだよなあ。
彼女は私の弟が障害者であることを知っている。
彼女に悪気はないんだろう。
同じ問題にぶつかり当事者にならない限り、きっと自分と他人の経験は重ならない。
たぶん思い出すこともないのだろう。
わたしは肯定も否定もできずに相槌をうって、にこにこ笑っている可愛い子を抱っこさせてもらった。
わたしも、弟のことを知らない人から見たら、
いや、知っている人から見ても、めちゃくちゃ順風満帆に見えたりするんだろーか。見えることもあるんだろーな。
ひとには、私にしか見えない部分が当然見えていなくて、私には見えない部分が見えていて、おもしろいなあとも思う。
見ているだけじゃわからなくて、話してみたらわかることも多い。
誰だって、その人の一部しか知らない。
どんなに仲良い友達でも、昔の習い事を知らなかったり、隠している趣味があることを聞かされていなかったりする。
そんなものだ。
全部知ろうなんて無理だ。
そして、完璧じゃないから僻みたくなることもある。人間だもの。生きている限り、自分の負の感情と向き合わなければならない。
人と比べずに自分として生きる。
それって難しい。
◆”きょうだい児”が教えてくれたこと
性別とか人種とか肌色とか信条とか宗教とか文化とか性的マイノリティとか、差別しないようにと育てられてきた。もしかしたら、それと同じくらい”きょうだい児”も、痛い思いや苦労を抱えて生きているのかもしれない。
絵画や映画に興味がない、政治に興味がない、わかる。
でも、福祉や人間に興味がない、は結構怖い。
見えないトゲが刺さって、シンプルに人が傷つく。
倫理観が問われているのかなとも思う。
でも、私は被害者なわけではない。
私だって加害の矛先を向けてしまうことがあるのだから。
突然の出来事で対処ができないことや、喪失感や嫉妬、蔑む気持ち。
これらのせいで正常な理性が働かないことがある。
これはすべての人間に言えることで、私自身も一生気を付けていかなければならない。
私は聖人ではない、できた人間でもない。
心がチクチクしているときには、トゲトゲしい言葉を使いたくもなる。
そんなときは、上司から教わった格言を思い出す。
マザーテレサは言った。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
と。
考えていることが言葉に出てしまうのだ。
理性のコントロールがきかないとき、甘えの効く相手と話しているとき、
ふと、チクチク言葉を言いたくなったら、私の本当の性格で、悪い部分なのかもしれない。
自業自得。
けれど、もう同じ思いはしたくない。
私は“きょうだい児”であると同時に私そのものだ。
好きなことをしていい。
自分のために時間を使っていい。
もちろん弟のために時間を使ってもいい。
周りの幸せに見える人も、日常のどこかで悩んだり苦しんだりしている。
見えないだけ、見せないだけ。
それについて過度に落ち込んだり、うらやましがったりする必要はない。
わたしはわたし、あなたはあなただから。
自分だけが悲劇のヒロインではない。
だから、“きょうだい児”としての自分に浸りすぎてはいけないんだということを、
“きょうだい児”としての自分の居場所を見つけても良いんだということを、
いつまでも忘れないでいたい。
◆私として、生きていく。
進路を選択するとき、なんとなくいつも弟の存在が気にかかっていた。
弟がいたからこの道を選んだのか?もし、いなかったら?もっと違うフィールドに羽ばたけたのかな。
うーん。
違う。
弟のいない人生は無かった。
それは私じゃないんだ。
だから、たらればを考えるのは無駄だ。
自分を受け入れろ。
”きょうだい児”だからこそ、ただの健常者にはできないことができるかもしれない、よね。
その家族のおかげで、ここまで頑張れたのかもしれない。
生きてきた自分を認める。
一方で、それと同時に、一人では何もできない自分であることも認める。
”きょうだい児”であったことが、
おそらく私を無理させて、時に能力以上の結論を引き出して、私を形作ったこともあったのかもしれない。
だが、それもわたしだ。
そう、
わたしはわたし
あなたはあなた
生きていることを否定したくなることもあった。
仕事に行き詰ったとき、とてもとても鬱になって、「人生 意味」でグーグル検索してみたり(面白いなあ)、“なんのために生きてるんだろう”とか、“こんな未来のない国に苦しみの渦中に産み落としやがって”とか“人生なんて暇つぶしだ”と思っていたことがあった(ネガティブ過ぎて笑えてきた)。
はたから見ていた人は私が仕事に追われてそこまで落ちていることには気が付かない人がほとんどだったかもしれないが、
当時の日記は荒んだ心をそのままに残していた。
そしてそのようなどん底に突き落とされることは、きっとこれからもあると思う。
そんなときに、このnoteを振り返りたいと思う。
自分の行いが悪い結果なら因果応報で悪い結果がやってくる。
今を作っているものはすべて、過去の自分の行いと、結局運と縁とかタイミングのスクランブルなんだと思う。
それなら、今が最善で、最終的にここに落ち着くことになったねって、
苦しかったことも全部意味があったんだよなって考え方をするほうが圧倒的に楽だ。
未だに心に突き刺さって残る言葉もある。
でも、言った方はさほど覚えてないこともあるから。
他人の言霊に縛られていてはだめだよね。
さて、
とてもとても厚かましいが、
奈美さんがこうして作家ではない素人にも発表の場を作ってくれたり、
自分の知見や意見を素直に発信してくれていることを誇らしく思う。
おなじ“きょうだい児”として、
いえ、
おなじ女性として、
いや。
同じ時代を生きていこうとしている人として。
今の私が出した答えは、
人生とは、死ぬまで自分として生きること。
死ぬまで生きること、ただそれだけ。
私として、本気で一日を生きよう。
覚悟を決めた。
私はもうすぐ母になる。
この世には望んでもなかなか子供を授かれない人もいれば、望まない子供を持ち苦しむ人もいるのを知っている。私は仕事柄サポートするべき立場でもある。それに、私の妊娠がそもそも継続するかもわからない。
子育てはうまくできるだろうか。
また苦しいことがたくさんあるんだろうか。
なにもかもわからない。
でも、
おなかに宿ったいのちに、
”生きるのがんばれ、あなたならできるから”と背中を押されたような気がしている。
…なんだかうまくまとまらなかったが、(そして締め切りぎりぎりに滑り込んでる形になってしまった)
“きょうだい児”として、
“きょうだい児”ではない一人の人として、
私を生きていきたいと思う。
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