「普通」なんてない:アメリカが教えてくれたこと#1
アメリカに住み始めて、「周りの目を全然気にしなくなったなぁ」と思います。
この国では、周りと「同じ」ではなく、「違う」ことが当たり前。
外見からしても、髪の色、目の色、肌の色、身長、体型、みんな全然違うんですよね。文化ももちろん、ルーツからして、ヨーロッパ系だったりユダヤ系だったりアフリカ系だったりアジア系だったり、人それぞれ。
だから、「普通はこうだよ」って押し付けられるものが、日本に比べて圧倒的に少ないんですよね。つまり、周りの人と「違う」ことによって責められないし、常識や普通はこうという正義、周りの目、無意識に感じる同調圧力のようなものを感じることがあまりないのです。
何か自分と違ったときに、
「何あれ?おかしいよね、普通はこうでしょ」というのではなく、
「自分はこうだけど、あの人はこうなんだな」と、違いを認めるというか、違うことに慣れているから違いに寛容というか。
このアメリカの文化が私に教えてくれた大切なことは、
「普通」なんてない
ということ。
10年前にLAに降り立った時も、まったく同じように感じたのを思い出し、改めて胸に刻みこみました。
私にとっての「普通」は、私という一人間のちっぽけな枠の中でのみ「普通」なのであって、それを人に押し付けてはいけないのですよね。様々な色がありますが、それぞれの色に優劣がないように、「違い」も、自分とは違う色だけど、私の色も相手の色もそれぞれに素敵だと尊重することが大切だなと教えられた気がします。
以前、争いは「自分にとっての普通」を押し付け合うでうまれると聞いたことがあります。
確かに、身近な人との間では特に、「これが普通」「これぐらいできて普通」「これくらいやるのが普通」のように、自分の「普通」を押し付けてしまいがちですが、この国に来て学んだ「普通」なんてない、ということを思い出して、「自分の色」も「相手の色」も大切できるようになりたいと思うばかりです。
それに、風の時代は、一つの正解を目指すのではなく、一人ひとりがそれぞれの正解を持つ時代だからこそ、沢山の価値観や色を大切にすることで、自分自身の色をより輝けるものにできたら素敵ですね。