5.異動、コロナ、暗闇の中から見えた光
ちょうど義母と揉めて家出していた頃。
私は異動になっていた。
産科病棟からNICUへ
NICUとは、赤ちゃん用の集中治療室。
予定より早く生まれた子
通常より軽すぎる子
生まれつき病気がある子
そこには、
か細くも強く生きる子供たちがいる。
分娩をするために助産師になったのに、
分娩ができなくて、
お金のためだけに渋々
産科病棟で働いていた私。
この頃には分娩を諦め、
新生児や産後ケアを中心に
働いていた。
その中で、赤ちゃんの蘇生をしたり
◯くなった赤ちゃんを見送ることもあった。
そんなある日
師長に呼び出された。
「異動?」
「そう、良いスキルアップになるね」
いや、ちがうな
私は分娩がしたいと駄々を捏ねて、
産科病棟で浮いていたから、
きっと要らなくて飛ばしたんだ。
「わかりました」
「じゃあ2週間後には異動ね」
「えっ」
あまりに急すぎるけど?
まあいっか
どうせ産科病棟では
「できないヤツ」
「使えないヤツ」
扱いだし
NICUでも大差ないでしょ
そこで働いて2ヶ月
暗くて静かな中
モニター音が響く特殊環境だけど、
予想よりも働きやすい環境だった。
「こころさんってすごいね」
「えっ」
「アセスメント鋭いし吸収も早いし
どんどん任せて行くね〜」
最初は理解出来なかった。
NICUでの評価はすごく高かった。
どうやら自分で卑下するほど
使えない人間ではないらしい。
むしろ蘇生の経験はNICUで大活躍、
ママへの乳房ケアは私が一番出来るみたい。
私、役に立ってる?
働いてて、役に立ってる実感を得た。
気づけば仲間が増えた。
私、ここにいていいんだ。
居場所ができた気がした。
コロナ襲来
NICUでは感染が一番危険だ。
命取りになる。
コロナ蔓延により、
超厳重な感染管理となり、
病棟は一気に極限状態まで緊張した。
それでも、
感染専門看護師のもと知恵を出し合い
ケアの方法を工夫して
管理体制を構築した。
感染係として、
感染対策の構築と
管理方法の徹底を指揮した。
病棟ではコロナ患者からの出生児管理もしたが、
コロナの罹患ゼロ。
これも大きな自信に繋がった。
22週生まれAくんの受け持ちへ
NICUに来て2年目、
ついに22週生まれAくんの受け持ちに。
現代の医療が救命できる
ギリギリのライン。
それが22週。
未熟な肺をどうにか動かして
臍の緒から点滴を入れてどうにか栄養を入れ
皮膚は透けて破れそうで
オムツ交換も命懸けで
姿勢を崩したら血流が止まって壊死の危険も
Aくんはそんな状態で生まれてきた。
本当に救命できるのか?
私にそんな力があるのか?
必死に勉強した。
先輩に相談しながら、
震える手を制してAくんに触れた。
触れるだけで心臓が止まるかと思った。
私は担当しているだけなのに、
息ができなかったし生きた心地がしなかった。
Aくんは逞しかった。
医師や他の看護師の尽力もあり
すくすく成長していった。
あんなに弱々しかったのに生きられるんだ。
成長できるんだ。
Aくんの存在は励みになった。
私はすっかり自信がついて、
自分の弱点も含めて
自分のことを認められるようになった。
Aくんは私の人生を変えてくれた。
就職して以来、
ずっと困難続きで
真っ暗な人生を進んできたけど
ようやく光がみえた。
もう少し前向きに生きてみようかな。
もう少し自分を大切に生きてみようかな。
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