7.不妊治療、最大のトラブル
不妊歴6年目、
夫婦のすれ違いもあったけど
30歳手前にしてようやく
お互いに前を向き始めたころ。
不妊治療、次のステップへ
夫の検査結果は
良くなったとはいえ悪かった。
「自然妊娠はほぼ100%無理だから
人工授精もスキップして
体外受精したほうがいいよ」
とのこと。
人工授精まではしてきた。
体外受精はハードルが高い。
でもここまできて、
子供を授かれないと分かってるなら
行動するしかない!
体外受精の名医がいるクリニックに
紹介してもらい、
体外受精の治療が始まった。
最初の採卵
私は年齢のわりに卵子をたくさん持っていた。
だから、少しの薬剤でも
過剰反応する可能性があった。
生理周期をみて、
低用量のホルモン剤内服で
卵を育てる戦略。
1回半日かかる受診を繰り返し、
採血を何度も行って、
5つの卵が成熟した。
でも、いざ採卵してみると
とれたのはたった3つ。
麻酔なしで採卵したから
すっごく痛かった。
受精して成長する過程で
だめになっていく。
3つの卵は、1つだけ残った。
ホルモンで子宮内膜を整えて、
いざ移植。
大切な1つのたまご。
でも
無情にも妊娠しなかった。
はじめてだからか
そこまで悲しくならなかった。
ならば次は
もっとたくさん卵を採取しようと
ステップアップすることにした。
悲劇の始まりと知らずに。
次の採卵へ
最初は内服で
ホルモン補充していたけど、
次は注射することになった。
自分のお腹に注射針を突き刺して
ホルモンを注入する。
仕事柄、経験があるので
そこまで抵抗はなかった。
むしろ、インスリンしてる人は
こんなに怖い思いをしてるんだなと
勉強になった。
そして来たる採卵日。
私の卵巣は腫れ上がっていた。
麻酔で寝かされていたからわからないけど、
どうやら30個以上卵が成熟して、
15個取れたとのこと。
麻酔が残る頭で、
あ、やばいやつ、
と理解した。
そして、やっぱり。
採卵5日後、から腹痛。
日を追うごとに痛くなる。
吐き気、嘔吐。
痛すぎて動けない。
卵巣過剰刺激症候群(OHSS)
ホルモン過剰投与による病気。
元々年齢の割に卵をたくさん持っていると
発症リスクが高くなる。
私は明らかに高リスクなうえに、
過剰なホルモン投与によって発症した。
「こんなひどいの数年に1人いるかどうかだよ」
クリニックの医師に言われた。
痛すぎて思考が回らない。
クリニックで対応できないからと、
よりによって、
自分の勤める病院に
しかも、大晦日の21時に入院になった。
壮絶な1週間
卵巣は元々たまごくらいの大きさだけど、
腸や子宮を押し除け、
おなか全体に広がっていた。
両方の卵巣が10cm〜13cmになった。
卵巣が腫れすぎて、
エコーは卵巣しか見えなかった。
腹痛で叫び、
点滴の針を刺している途中で嘔吐、
車椅子に乗れず介助されて部屋に移動した。
正月の3日3晩は意識も朦朧として、
痛みと吐き気で寝れなくて
薬漬けの日々だった。
ソセゴンで痛みを取り
アタPで落ち着かせる
一度知り合いの看護師さんが
担当してくれたけど、
吐瀉物撒きながら痛いって叫んでたと思う。
もちろんご飯も食べれないし、
トイレ歩くのも無理で介助してもらった。
妊娠したかのような大きなお腹を抱えて、
寝返りするだけでも
腹水が動いて辛いのを感じながら
ただ時間が過ぎるのを待った。
あまりに辛くて
「4ぬ時ってこういう感じなんだろうな」
とか考えて
縁起でもないけど
気を抜くとネガティブなことばかり考えて
朝日が昇ると
「今日も生き延びることができて嬉しいな」
「ありがたいな」
とか思ってみたりして
太陽に手を合わせたくなったの
おかしいよね。
4日目にして、
腹水除去してもらった。
すぅっと楽になるの、
もっと早くしてほしかったけど
「正月休みでスタッフ居ないから
腹水抜けなかった、ははは」なんて
よく知る医師(産科と婦人科は同じ医師)に
笑い飛ばされたけど
確かに大晦日から3が日までが
1番ひどかったけど
タイミング悪すぎるよーーー
その後ゆっくりと回復して、
ホルモン値も下がり
腎機能低下もよくなり
凝固亢進も落ち着き
2ヶ月かけて回復したことを確認して、
クリニックに戻った。
怖かったけどね。
あんなに辛くて恨んでたけど
小言を言っても何も変わらないし
それより大切な卵たちを
預けるクリニックだから、
穏便に済ませたくて
卵を移植して、
やっと。
31歳
不妊歴7年
人生初の妊娠へ。