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きらいだった人のこと

私には姉がいる。
彼女は私が生まれた時からずっと姉だった。
そして、私は姉のことが長い間きらいだった。
友達に姉の存在を隠すほど、彼女の存在は私のタブーだった。

物心ついたときから両親の仲も、祖父母と両親の仲も、そんなによくなかった。
両親は子どものことを大事に考えてくれていたけど、言い争いは絶えない家庭だった。
でも私にとって家族とはそういうものだったし、怒鳴りあうケンカは耳をふさいで目を閉じてやり過ごすことができた。
義務教育中の私にとって、実家は世界のほとんどだった。
嫌だけど、好きじゃないけど、それしか知らなかった。逃げるとか考えもしなかった。
でも姉は違った。あるとき不意に出かけて、帰ってこなくなった。
最初はいつものことと気にも留めていなかったけど、そのうちに彼女はもうこの家に帰ってこないのかもしれないなとおもった。
彼女の事情は分からないし、私には結果が全てだった。
彼女はこの世界から逃げ出した。
両親を悲しませて、周りに迷惑をかけた。
それはとても愚かで、不当で、卑怯なことだと思った。
彼女のようにならない、なってはいけないと呪いをかけたのはこのときだ。

それからの私の行動基準は、彼女のようにならないこと、が第一だった。
姉が好いた文学、音楽、ファッションを徹底的に避け、少しでも触れないようにした。
髪を染めるのも、化粧をするのも、アルバイトをするのも、全て彼女がしていたことだったから、よくないことと決めつけていた。
好きな本も、姉が読んでいたという理由で簡単に嫌いになれた。
姉が存在することすら、周囲には隠していた。
そんな風に自分を制限して過ごしていると、段々自分が何を好きなのか分からなくなっていった。
他人の評価基準でしか物事を測れず、自分の意思がなくなっていった。
好きなものがなく、嫌いなものだけはやけにたくさんあって、そのほとんどが彼女に紐づいている状態だった。
彼女を悪者にして嫌うことで、自分自身の至らなさやみじめさをどうにかして払拭していたように思う。
その時のことを思い出すと、今でも溺れそうになる。

そう、姉は優秀だった。
頭が良く、スポーツもできた。絵を描いたり文章を書いたりするのも得意で、家にはたくさんの賞状やトロフィーがあった。
それでいて人懐っこく、愛嬌もあったから周りの大人たちからも可愛がられていた。
私はなにをやっても平均で、ふつうで、引っ込み思案の目立たない存在だった。
優秀な彼女が羨ましかった。
ケンカの絶えない家から自分の意志で逃げ出したことも、
派手なファッションで周りの目を気にせずに歩けることも、
たくさんの友達がいて途切れることなく恋人がいることも、
周りに迷惑をかけても心配されて、それでも愛されていることも、
ぜんぶぜんぶ、羨ましかった。
それを認めるまでに長い時間がかかった。

家出から5年くらいして、彼女はひょっこり帰ってきた。
なんだか分からないけどまた普通に一緒に暮らすようになった。
最初は大人ぶって、私はなにも気にしていませんよ、という顔でやり過ごしていたけど、段々彼女と一緒に生活するのが苦しくなった。
就職を機に実家を出て、一人で暮らすようになって、家族といえども適正な距離感は人によって違うんだなと実感した。
彼女が家に戻ってきてから10年以上がたった。
今の彼女には家庭があり、実家には住んでいない。
ここ数年の間に、ようやく私は姉とおすすめの漫画や映画や音楽を共有して楽しむことができるようになった。
家族としては上手くいかないけど、親しい友人のような付き合いなら苦しくならないと気付いた。
私には私の好きなものがあるし、それは彼女の好きなものに左右されない。

そして、家族が苦手だという話は自分がひどい人間のように感じて人には一切言えなかったけど、最近親しい人には話せるようになった。
友人の内のひとりに、自分も家族が苦手で今でもほとんど連絡を取っていないという話をしてくれた人がいた。
そうか、仲がいい家族もいれば仲が悪い家族もいる。当たり前のことなのに、自分のことになると全く周りが見えていなかった。
今でももちろん相容れない部分はあるし、こういうところが嫌なんだと思うところもたくさんある。
どうしてもだめなときは血が繋がってるだけの他人だしな、と考えることでどうにか心を落ち着けている。

最近姉にはこどもが産まれた。
小さくてまるくて眩しいその存在は、確かにかわいかった。

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