桜の写真とあたりくじ
スマホの通知欄に見慣れないアイコンがあって、通知の詳細をみるとGooglephotoから、5年前の4月1日の写真を紹介するものだった。
写真は近所にある少し大きめな公園で撮影された桜だった。
すぐに誰と行ったのか思い出した。
もう5年なのかまだ5年なのか分からないけれど、久しぶりに彼のことを思い出した。
大学に入学してすぐ、何かの講義でくじ引きみたいなものをした。
くじには数字が書いてあるはずだったが、私が引いたくじには「あたり」と書いてあった。何かが当たったけど、何が当たったのか分からなかった。教授から、同じ学部にもう一人あたりのくじを持っている人がいるから、その人を見つけて仲良くなってと言われた。でも、探す前から誰が当たりなのか分かっていた。私の後ろの席にいる人があたりってなに?と呟いていたからだ。私の学籍番号のひとつ後ろの人で、それが彼だった。私達はその「あたり」とお互いの顔を見比べて、どうも、よろしくなんていうつまらない会話をした。
通っていた大学の学部は女性と男性の割合が8:2くらいで、しかも私が専攻していたクラスでは9:1くらいだった。
その1割くらいの中で一番浮いていたのが彼だった。
男性は男性で固まって過ごす中、彼は別のクラスの女の子と一緒にいることが多かったからだ。
最初の一週間が過ぎるまでは誰が誰だか把握できず、色んな人とぽろぽろ喋ったり何となく一緒にいたりいなかったりする中、特定の異性と一緒に行動している存在は珍しかった。
あたりをきっかけに私たちはよく話をするようになった。
一人暮らしをしていること、大学近くのコンビニでバイトしていること、好きなバンドが同じこと、地元に彼女がいるが最近別れたこと、それはいつも一緒にいる女の子ではないこと。
同じ専攻の友達にから、彼は私のことが好きらしいと聞いた。
らしいってなんだと思いつつ、思い当たる節はあった。
当時の私は失恋したばかりで、からからに乾いたタオルみたいだった。
よく乾いたタオルに、彼の存在が染みこむのに時間はかからなかった。
それからは本当にずっと一緒にいた。
彼はよく、「あなたは常識を知らなすぎる」というニュアンスで私のことを非難した。それは彼の好きな音楽や映画や本などを私が知らないと言ったときに発せられた。私は私で彼の言葉を素直に受け止め、自分の頭の悪さにうんざりし、なんとか賢くなろうと本を読んだりしてした。今思うとよくそんな言葉を素直に受け取っていたなと思うけれど、当時は何が正しいのかなんて分からなかった。あまりに一緒にいすぎて感覚が麻痺していた。
彼の言葉を浴び続けることの苦しさがピークになったとき、別れようと思った。彼は泣いて嫌がったけれど、引きちぎるようにむりやり別れた。
別れた悲しみより、安堵の方が勝っていたから、もうだめだったんだろう。
あとから、あのあたりは本当は1枚だけ入れるはずが、手違いで2枚入れてしまったのだと聞いた。手違いをごまかすためにそれっぽいことを言ったんだよ、と。
来年の4月1日もGoogleは写真を紹介する。そのたびに、私はあたりくじと彼のことを少し思い出す。