私は強迫性障害?
今回は私が罹患している精神疾患、
「強迫性障害」について、私が発症したキッカケと、その症状、そんな私を支えてくれた家族の視点の3つに分けて、つらつらと思う事を綴っていく。
1.発症のキッカケ
この病気を持つ人には、いつからかはよく分からないけど気付いたらこの病気を発症していた人と、
明確に「コレ!」というキッカケがあって発症した人がいることと思う。
私は後者で、妊娠6ヶ月の時に発症した。
妊婦になってから、食べ物や飲み物にはかなり神経質に色々気をつけて過ごしていた。
カフェインは摂らないようにし(飲み物は水だけ)
生物は一切食べず、まな板は野菜用と肉用で分け、更に煮沸消毒、焼肉は焦げるくらいまで焼いてから食べて過ごしていた。
専業主婦なので、毎日旦那に料理を用意するのだが、
ある日のこと。
その日は豚肉とチーズのミルフィーユカツを作ろうとしていた。
何を思ったのか、寝ぼけていたのか、
生肉を触った手で、余ったチーズを口に運んでしまったのだ。
すぐに我に返り、なんてこと!!!!と、パニックに。
(妊娠中はトキソプラズマに感染するのが×なため、
生肉を食べるのはNGとされている。
この時の私は、生肉を触った手でチーズを食べたことで、トキソプラズマに罹ってしまった!赤ちゃんが危ない!と思ったのだ)
これが、私が強迫性障害になったキッカケであり、記念すべき"強迫性障害記念日"なのである。
ここから、日常が一変する。
2.強迫性障害の症状 ~私の場合~
強迫性障害は色んなタイプの症状がある。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/150377058/picture_pc_6e9e139cfc93cc41873a2a685054593c.png?width=1200)
これだけ種類があり、病状もそれぞれ全く異なります。
私の症状は不潔恐怖と洗浄のみだったが、これが本当に厄介。
今まで見えていなかった菌がある日突然、可視化されてしまった、そんな感覚。
同じ不潔恐怖でも、それぞれ怖いものの対処は異なるが、私の場合の恐怖対象はトキソプラズマとエイズ、このふたつだけだった。
1番酷い時は、猫を見るだけでトキソプラズマに罹ってしまったのでは?赤ちゃんが健康で生まれて来れないのでは?という強迫観念に駆られ、その度に2時間近くかけてシャワーを浴びる。
また、トマト系(赤い色の料理)を見ると、血では?とゾッとして、その度にエイズに罹ったのでは?という強迫観念に駆られ、その恐怖から旦那や母親に当たり散らかしたりしていた。
ちょっとお皿が汚れているだけでお店で号泣したこともある。
今思えば、この頃の自分は異常だった。
とにかく、お腹の赤ちゃんを守る事に必死だった。
そんな心配する必要ないと、頭ではわかっているのに、気持ちがついてこない。
脳が恐怖に支配され、誰かに人格が乗っ取られている気分だった。
身体と心のバランスはもうガタガタで、
自分のキャパはとうにオーバーして、心は悲鳴をあげていた。
毎日、子供のように声をあげて大泣きした。
暇さえあればトキソプラズマ、エイズのことについて調べ、一日、起きてる時間の半分くらいはシャワーを浴びていた。
この頃の水道代は見たこともないくらい高くついた。
一緒に暮らす旦那も、こんな私を見て疲弊していた。
3.強迫性障害の人と一緒に暮らすということ
私が強迫性障害に罹患してから、私の家族は沢山強迫性障害について調べてくれた。
強迫性障害は、第三者からしたら
「なんでそんなくだらないことを気にしてるの?」
というレベルのことだらけなので、
他人からしたら全く理解できないということが多い。
実際、私も違ったタイプの強迫性障害(例:加害恐怖など)の人のことは「そんなこと気にしなくていいのに」と思う。
そのくらい、第三者の理解を得るのが難しい病気のように思う。
毎月毎月、とんでもない額の高い水道代を文句も言わずに払ってくれて、私の強迫観念からくる恐怖による八つ当たりを受け止めてくれた旦那。
私に思う事は沢山あったと思う。
私が逆の立場だったら、結婚した事を後悔するかもしれない。
強迫性障害を美談にするつもりは全くないが、無事出産が終わった時に旦那からもらった手紙には、
「妊娠期間を通して、ふたりの絆が深まったね」
と書いてあった。
本当に太陽のような人と結婚できたと思う。
この期間、もう1人文句も言わず支えてくれた大きな存在が自分の母親だ。
母は「強迫性障害」という病気自体も初めて知ったようだが(当たり前ですね)
私が強迫性障害になってから、本当に献身的にサポートしてくれた。
これだけ酷く症状が出てたのに、妊婦だから薬を飲みたくなくて、精神科には行かなかった。
(正直、無理矢理入院させられたりしてもおかしくないレベルだったと思うが、病気は嫌だという私の意思を尊重してくれていた)
精神科がダメなら、と、漢方薬局を調べて連れて行ってくれたり、
自分で買うのは躊躇う額の漢方を買ってくれたり、
気持ちが落ち込んだ時は励ましてくれたり。
今思えば、病んでる私をサポートする立場だった家族たちの心労も、相当なものだったと思う。
ちなみに産後から精神科の通院をスタートさせ、
ふたつ目の病院でとても良い医師に出会えた事をキッカケに、症状は大分軽くなり、現在は服薬をしながらほとんど罹患前の生活ができるくらいまでには寛解した。
出産〜精神科通院をスタートさせるまでの話は、
また次回書こうと思う。
私の強迫性障害レポが、誰かの役に立ちますように。