2025年start!!!!
2025年!
2024年の今頃は必死に、誰にも見えない菌と必死に闘っていた時期です。
1年たった今、不潔恐怖との付き合い方も徐々に理解して、自分の中での強迫観念マニュアルがそろそろ完成しそうな所です。
ここからは主に、私の強迫性障害の話になります。
去年の今頃、出産前の私の頭の中は、まるで悪魔に乗っ取られたように、攻撃的な考えや言葉ばかりが浮かび、それを言葉にしなければ自分を保つことができませんでした。
自分が辛いことの連続だったので、他の人も不幸であって欲しい。そんな風に考えてる時期がありました。
その頃夫は、研修医も終わりの時期に差し掛かり、土日は飲み会、家に居ても勉強している時間が増えました。
立派な肩書となる国家資格も、賢い友達も、仲の良い家族も、健康な精神も、全て手に入れていて、いいなと思いました。
その一方で、私は職もなく、近くに友達もいなくて、手元に残ったのは強迫性障害。
夫はなにも悪いことをしていないのに「なんでこの人はこんなに恵まれているんだ」と、どこからともなく湧いてくる、原因不明の苛つきが抑えられませんでした。
医師になる為、沢山のことを犠牲にして、人の何十倍、何百倍と勉強してきた人に対して、絶対に言ってはいけないような、失礼過ぎることも言いました。
それでも「赤ちゃん産まれるまで頑張ろうね!」「来週は赤ちゃん本舗に行ってみようか!」と一度も激昂することなく私の強迫性障害とうまく付き合ってくれました。
夫はこの状況でもグッと耐え、ずっと私のことを支えてくれたのかと思うと、自分との人間性の歴然とした違いに、死にたくなりました。
無事に出産できた後も、出産後も強迫観念はしばらく続きました。
例えば、ミルクを作る、このひとつの動作を取っても
①爪を洗う②手指を洗う③アルコール除菌シートで手を拭く④乳首に触らないように哺乳瓶をセットする
この④工程があり、この①から④の工程中に別の強迫観念が浮かぶとまた①からやり直し...こんな生活で、新生児育児の細切れ睡眠と観念によるストレスで身体も心も限界でした。
完璧で綺麗な生活を求める私と、本当はもっと普通に暮らしたい、昔の自分に戻りたい私で、心身は極限まで拮抗していました。
この頃、精神科に通い始め、数ヶ月の抗精神薬の内服により精神状態はかなり良くなりました。
生肉を触れるようになり、外出が普通にできるようにな、着替えの回数は半分くらいになって洗濯物は格段に減り、床に落ちた薬も飲めるようになりました。随分、生活は楽になりました。
私の性格が攻撃的になっていたのは、妊娠のホルモンバランスのせいでも、人間性が変わったわけでもなく、強迫性障害による症状だったんだと確信しました。
そして今、前の自分には程遠いものの「強迫性障害を持っているとはバレなさそうなお母さん」になることができました。
自分が強迫性障害になる前は、
精神科に通ってる人ってヤバそう。なんて思っていましたが、今は精神疾患を持っている人の気持ちも分かるようになりました。
これは私が、未熟で、強迫性障害で地獄を見たから見えるようになった新しい世界です。
これだけ家族を巻き込んだことを、美談にするつもりは全くありません。
ですが、雨が降った後は虹かがかるように「辛かったことの後には崇高な景色が見える」ことを、私は信じて疑いません。
一見、前に進めていないように見えることも、何ヶ月後、何年後かに振り返った時、あれが虹だったんだ。と思えることが人生では何度もあると思います。
失うものが大きい強迫性障害で、その中で得られる小さな虹を、取りこぼさないように、しっかり目に焼き付けられるように。
一度きりの人生、自分の人生の中で見られる全ての虹を見忘れることがないように、慎重に、丁寧に生きていこう、そう思いました。