学校に行く事がいい事なのか
不登校のタイプはさまざまで
どれに当てはまるかなんて、そんな型にはめることはできない。
一人一人がそれぞれの個性を持った人間だから。
よくあるパターンは、親は1時間でも、保健室登校でも、どんな形でもいいから行って欲しいと考え、学校もそれを勧めた結果、とんでもない時間を費やしてどうにか学校の校門をくぐるのがやっとだったり。
本人も行かなければいけないという呪縛に囚われて無理にでも通おうとしたり……。
子どもの不登校を経験した後だから言えることだが、
これは誰にメリットがあるのか?
親は子どもを少しでも行かせることで自分たちが安心したいのではないか?
学校にもよるが、数字上、不登校の数を少なくしたいと考える学校もあり、そうなると何が何でも引っ張り出そうとする。
そんな環境の中に子どもの意思はどこにも存在していない。
1番に考えてあげたいのは当事者である子ども自身の心ではないだろうか?
全くの大人の都合で騒いでいるだけで、当事者は置いてきぼりである。
周りがそんな雰囲気のままだと、
子どもは行かなければと言う何の根拠もない理由に縛られ、そうできない自分を責め自分自身を否定し始める。
身体も心も学校を拒否しているのにである。
そんなことを卒業まで繰り返していたら
なんの進歩もなく終わるだけではないか?
悪循環でしかない。
三男は私がどんなにベッドから引きずり出そうとしても頑なに拒否をした。
そのうちに私が来ると布団を深く被り、全く姿を見せてくれなくなった。
私は原因探しを始めた。
それさえ解決すれば、また元に戻ると思ったからだ。
戻るわけもないのに、自分の価値観の許容範囲内に彼をどうにか戻そうと必死だった。
どうすれば不登校が治るのか、どうすれば彼の心の内が聞けるのか、どうすれば、どうすれば、どうすれば……
そればかり考える日々を過ごした。
「こうすれば不登校は治る」
そんな風の本もたくさん買ったし、ネットでも終日検索していた。半分狂っていたと思う。
治るとか治らないとかの問題ではないのに。
とても短いスパンで物事を考え
明日行くか、どれだけ休ませればいくようになるのか、
それと並行して行かなくなった原因が何なのか
自分にとって納得のいく答えを必死に探した。
結局は、私も先の親の例と同じで、息子の事を考えてるようで、実は自分のことしか考えていなかったのだ。